まずは「子どもたちのCity」ライブ告知チラシである。

池袋の豊島公会堂でおこなわれた「子どもたちのCity」。行きたかった!
池袋の豊島公会堂でおこなわれた「子どもたちのCity」。行きたかった!

1987年、ナゴム・レコード所属アーティストによるオムニバスアルバム「子どもたちのCity」が発売されたことを記念し、収録アーティストが一堂に会しておこなわれたライブだ。
ナゴム・レコードとは、当時の人気バンド・有頂天のケラ(現・劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ)が主宰していたインディーズレーベル。
その後ブレイクしてアルペンのキャンペーンソング「あいにきて I・NEED・YOU!」をスマッシュヒットさせたGo-BANG'Sや、やがて電気グルーヴへと進化する人生、現在はナレーターとしてメジャーフィールドで活躍する田口トモロヲのバンドばちかぶり、生きたセミを丸かじりすることで有名だった“博多の狂乱娘”こと泯比沙子など、錚々たるメンツが出演ししていたことがわかる。
僕はこのライブには行けなかったのだが、チラシを見るにつけ、今さらながら見ておけば良かったと悔やまれる。

次は1986年のチラシ。
“子供自由連合ピリオド”という、今となってはその実態もよくわからない、恐らく左翼系団体が配ったもので、注目してほしいのは下段だ。

学生運動の立て看などに使用された“ゲバ字”のような手書き文字もいい味を出している
学生運動の立て看などに使用された“ゲバ字”のような手書き文字もいい味を出している

「勇気のない子供達のクーデター宣言!」と題し、11月3日(祝)にECHOESほか5アーティストが参加するライブイベントを早稲田大学でおこなう旨が告知されている。
そこには、まだメジャーデビュー前だったTHE BLUE HEARTSの名が!

この頃(1986年)のブルーハーツといえば、インディーズのオムニバスに数曲参加していただけで、バンド単独の音源はひとつも発表していなかった。
だが「ブルーハーツというとんでもないバンドがいるらしい」という噂が口コミでじわじわ広がっていて、どこの会場でもライブは盛況になっていた。

残念ながら僕は、このライブにも行けなかった。
高校生なりにいろいろ忙しかったり、お金がなかったりしたのだ。

しかし翌1987年。
メジャーデビューを果たし、いよいよ人気が沸点越えしたブルーハーツは、“ドブネズミツアー”と称する初の全国ツアーを敢行。
その一環として、前年にライブをおこなった早稲田大学15号館に再び降臨する予定になっていた。
ここは逃してはならぬと勇んだ僕は、当時、高校で一緒にパンクバンドを組んでいたベースのよっちゃんを誘い、早稲田の学園祭に進撃した。
大学受験を間近に控える身だったが、「志望校見学がてら」とかなんとか適当なことを親に言って出かけた記憶がある。
そんなだから結局、浪人したんだけど。

それはそうと、念願の初ブルーハーツは目くるめく体験となった。
大学の普通の階段教室でおこなわれたライブだったので、固定の長机を土足で乗り越え、最前列に到達するのはなかなか大変だったが、手が届くほどの近距離で歌う若きヒロトはすごい迫力で、異様に血走った目をしていたのが印象的だった。