コスパ・タイパを優先する人生を送れば、必ずどこかで虚しくなる

それなのに、常にコスパやタイパのものさしが前面に出てしまうと、純粋にやってみたいという思いまで萎みかねません。

コスパ・タイパの意識が強すぎると、それによって人生の夢や目標も、180度違ったものになってしまうこともあると思います。

たとえば司法試験は制度が変わる以前と比べればハードルは下がったものの、相変わらず難関です。子どもの頃から弁護士に憧れていた人は、勉強を始める時点でコスパ・タイパの観点から試験勉強をすることの是非を判断して、容易にあきらめてしまうかもしれません。

染物に興味があって染物の職人になる夢を持っていた人は、一人前になるまでのコスパやタイパを計算して、その夢を断念するかもしれません。

しかし、自分の純粋な気持ちや願望を捨て、コスパ・タイパを優先する人生を送れば、必ずどこかで虚しく感じるはずです。

一度きりしかない人生を平板なコスパ・タイパの計算内に収めてしまうのは、実にもったいないことです。人生や仕事は本来、そんなもので収まってしまうような矮小なものではありません。

そして、人間がどんなにがんばったところで、AIに対し、コスパやタイパにおいて人間に勝ち目はないということを肝に銘じてほしいと思います。

ベンチャー女性経営者「川端康成の小説はコスパが悪い」と語る…コスパ・タイパを優先する”ファスト動画世代“に危惧されるむなしく貧相な人生_4

損得勘定で仕事を選ぶと、人生が貧相になる

コスパ・タイパ主義的な考えが強くなれば、ものごとを損か得かという尺度で判断し、行動を選択するようになります。

しかし、人生というのは、単純な損得勘定では計れないもので成り立っています。

得だと思ったほうを選んだのに、かえって損をしたり、反対に損してもいいやと思って選んだら、結果的に得をしたりする。人生も仕事も、計算通りにはいかないものです。

運というものは、小手先の計算に囚われることなく、精一杯の努力をしている人にやってくるものです。

理論上、損得勘定に長けている人が、目の前の選択肢において得だと思うほうばかりを選び続ければ、いいことだらけの人生になるはずです。

しかし現実は、まずそんなことにはならない。一時的に大金が舞い込んでも、途中で仕事に失敗し、大借金を背負うかもしれませんし、順風満帆な人生を歩んでいても、突然重い病気にかかって仕事ができなくなってしまうかもしれません。仮に仕事で大成功しても、人間関係のトラブルをたくさん抱えるかもしれません。

得だと思う選択をし続けても、けっして思い通りにいかないどころか、気がついたら、信頼できる人間関係を失い、さらにお金もすっからかんになっていた、なんてことになりかねません。