シャンパンコール誕生秘話

――2000年代初頭はいわゆる「暴力団対策法」も今よりもゆるく、ヤクザとのトラブルも多かったのではないでしょうか?

あの頃の歌舞伎町って歩いてりゃ、そっち系の方々がゴロゴロいましたよ。
でも面白いことに、出勤前に毎日のように道端で顔を合わすもんだから、最終的には「どーも」ぐらいは会釈しあっていましたね。

――会釈以上の関わり合いを持とうと、ヤクザから言い寄られたりは……?

そうですね。「お前、売れてんだってな。金貸してくんねえか」って声かけてくるのは日常茶飯事。それとか、いろいろと因縁をつけては「ケツ持ちさせろ」と言い寄ってくるのをかわすのが大変でした。
関係は持たないようにしないといけませんので。でも、僕のエース(一番の太客)の女性客と他店のナンバーワンホストにヤクザ屋さんが絡んだ大乱闘もあったなあ……。

――絶対に関わりたくない大乱闘ですね。

当時の歌舞伎町で飲んでる女の子もめちゃ気が強いて引かないんですよ。
激昂したヤクザが他店のホストにつかみかかって、ボトルを振り回しての大騒ぎ。
とにかく毎日、マンガみたいな出来事が起きてたから、その一つひとつはもう忘れてることのほうが多いです(笑)。

不思議なもんで、がんばり続けていろんな露出も増えると、逆に誰にも何も言われなくなりました。出過ぎた杭は打たれないって感じなんですかね。

――そんな日々のなか、頼朝さんはシャンパンコールを生み出します。

“シャンコ(シャンパンコール)”のルーツは、学生時代に遡ります。
当時、ディスコへ行くようになって、イベサーを作ってパラパラのユニットでデビューしたりもしてて、飲み会の時にやってたマイクパフォーマンスの経験が活きたんです。

シャンパンタワーの前で
シャンパンタワーの前で

――やるようになった経緯は?

本職としてホストをやるようになって、“この業界を変えたい”ってマインドになったのが大きい。
これまで自分が見てきたエンタメの世界の醍醐味を、もっとホスト業界に落とし込める、ホストクラブをもっとエンタメにできるはず、と思ったんです。

――その第一歩はなんだったのでしょう。

それまでのホストクラブは祝い事でシャンパーニュ(シャンパン)を出すくらいで、それ以外は基本的にブランデーを出してたんです。だから当時はホストは3年以上続けられないと言われてました。アルコール度数が高いブランデーばっかり飲んで肝臓を壊すから(笑)。

でも本数を出したいならブランデーよりシャンパーニュのほうが圧倒的にいい。それで学生時代にやっていたコールをベースに シャンコを始めたんです。
そのうち、“ドンペリ隊”とか“マイク隊”とかセクションを振り分けて、「『TOPDANDY』でシャンパーニュを頼むと何かが始まる」という仕組みをつくったんです。