ラテンアメリカの夢、移民の夢

「次のテーマは、夢なんだ」
「夢、ですか……」
「またなにかいい撮影できそうだったら教えてよ」

テレビ局の知り合いの方からの電話だった。夢か……これは難しいな……。冒頭にも書いたように、このラテンアメリカで夢を語ることは難しい。人々が夢を持っていないと言うつもりはない。

だが、日本とは、やはり違うのだ。日本では当たり前に感じる「夢を持つ」という感覚。これがここでは難しい場合が多いのだ。そんな普通のことが、普通じゃない。彼らの普通は、ぼくの普通でもない。そんな連続の毎日で、ぼくは夢というテーマにどう道標を立てていいのか悩んでいた。あるいは、ラテンアメリカにおける夢というものを、ぼくはわかっていなかったのかもしれない。目の前にあるのに、見過ごしていたのかもしれない。

アメリカンドリームを夢見る中米移民たちを乗せて走る「野獣列車」。屋根に人が乗り、線路脇からは食料が投げ込まれる衝撃的な光景_4

「いつもどおり、見に行きたいものを見に行けばいいじゃない」
悩むぼくに、妻は言った。
「ラテンアメリカの人、メキシコの人にだって夢はあるわよ」
「そう、だよな」
「ただ、日本とは形が違うだけでしょ」
「まあ、そうだよな」
「あなたは、なにを見たいの?」
「ぼくの見たいもの……」

あ……パトロナス、いけるんじゃないかな。ぼくが初めてパトロナスを見てから、すでに何年も経っていた。もし、いまなにかを見るんだとしたら、ぼくはパトロナスの人たちを見てみたい。
「パトロナスね……わたしも行こうかな」
「え? 君も?」
「いまベラクルスは、アレだし……」

彼女が「アレ」というときは、決まって「治安がよくない」ということだ。そっか、まあ、危なくないわけはないよな。

「なんでそんな顔してんの。たまには、夫の仕事ぶりも見ないといけないからね。ちゃんと仕事ができてるのか」

そう言って、彼女はほほえんだ。
じゃあ、行くか、パトロナス。それから、ぼくは企画書を書き上げ、パトロナスの人たちがいるベラクルス州コルドバへと旅立った。企画書には「アメリカを目指し夢を追い続ける移民たち」と書いた。そこにどんな夢があるのか、それを見に行くのだ。