「たまには女でもかまってこい」と声かけたら
「えへへへ」って笑ってた

当時、温泉街として賑わっていたこの周辺は旅館も多く、養魚場も羽振りがよかったようだ。養魚場は離れて暮らす兄にとっても「生業」となっていたとか。
別の住民は当時をこう振り返る。

「このお兄さんという人がこの温泉街では喧嘩もしょっちゅうの有名な不良でした。当時は温泉客を当て込んで養魚場をやろうって人が結構いたんだけど、あの辺の山間部で養魚をするとなるとA子ちゃんのお兄さんに『挨拶』は必須、彼は事件を起こしてはよく警察のお世話にもなっていた。養魚場はA子ちゃんが高校を卒業して何年か後に結婚して出ていくまであったけど、お兄さんがいろいろやらかして潰れたって聞いてるよ。もう廃業して20年以上にはなるんじゃないか」

A子さんが嫁いだ中野市の繁華街でも、兄は知られた存在だった。

「事件を起こした息子は知らないけど、お父さんや奥さんは知ってますよ。奥さんのお兄さん? 有名な渡世人だよ、しばらく見てないけどね」(スナック従業員の女性)

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青木家の自宅前には、警察官が出入りしていた (撮影/集英社オンライン)

冒頭の言葉をもらした親戚もこう証言する。

「A子の腹違いの兄は“ヤクザ者”で、年がら年中くだらないことをやって皆に迷惑かけてきた。今はどこにいるかもわからねえ。政憲もほんとに、なんでこんなこと、やってしまったんだろうな。あんなことするような子じゃねえと思ったんだけどね。事件後にA子には何も連絡はしていない。ただでさえ、生まれつき障害を持っている姉をひきとって色々心労も重なってたところにこの事件だからな」

この親戚は、A子さんが結婚して家を出た後、養魚場でA子さん姉妹の母と暮らすようになったという。

「A子たちの母親は長年ガンで苦しんで、今から10年前に亡くなった。養魚場のあった実家でやった葬儀には、A子とご主人の正道さん、政憲と弟と妹、全員が顔を揃えたよ。政憲もちゃんと喪服着て、家族仲はほんと普通によくてさ。政憲からすればおばあちゃんが亡くなったわけで、男だから涙は我慢してたけど、残念そうな様子だった。

あいつはバカ真面目だったから、いくらか遊びもできた方がいいと思って、『若い頃はたまには女でもかまってこい』と声かけたら『えへへへ』って笑ってたな。なにしろ口数が少ないんだよ。家族や兄弟とはよく喋るんだけど、人付き合いができないからって両親も心配していた。当時は政憲も20歳くらいで、大学を中退してりんごやブドウを育ててるところだって話してたよ」

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中学時代の政憲容疑者・卒業アルバムより(同級生提供)