またやってしまった。
どんな依頼にもいい顔をして、安請け合いしてしまうという悪い癖が出た。
集英社の文芸編集部から寄稿の打診があったとき「天下の集英社文芸のHPにオレの原稿が載るなんて、こんなに箔の付くことはないぞ」と、二つ返事で引き受けてしまったのだが……。
テーマが「ネガティブ読書案内」だと聞いて「ん?」
編集者に「ネガティブとは?」と尋ねると「人生に行き詰まったり絶望しかけたりしたときに、読めば支えになるような書籍を数冊薦めてください」とのこと。
はてさて、なるほど。
私の経歴を耳にすると、さぞかし挫折と絶望を経験したのだろうと想像されてしまうようだ。
実際には、私はこの上なく楽天的で、失敗を失敗と考えない、挫折を挫折と思わない、絶望? それってなんですか? 食べられますか? コンビニで売ってますか? というくらい能天気でポジティブな極楽とんぼなのである。
例の事件の際も、張本人の私がいちばん涼しい顔をして、ことの成り行きを眺めていたことに、周囲がドン引きしていたくらいだ。
まあしかし、受けてしまったものは仕方がない。
私は挫折も絶望もしないが、そのような体験をすることになった人間のために役立ちそうな書籍を、2冊ほど挙げてみることとしよう。
『タイタンの妖女』は、1959年に出版された、とても「文学的」なSF小説です。
私は大学生時代に読みましたが、難解な(嘘八百な)物理学用語と突拍子もないストーリー展開に四苦八苦しながら、なんとか読破しました。
これから読もうとする方には、細かい物語やわざと難解に言い回している単語は軽く流して、とにもかくにも最終ページまで到達することをお勧めします。
この小説のシニカルでアイロニカルなテーマは、最終盤に明かされるのだから。
『豊饒の海』は、言わずとしれた三島の集大成にして最高傑作です。
三島ほど美しい小説書きはいないと、私は思ってます。
漢字と平仮名の比率に至るまで気を配った、その文章の美しさ。
ストーリー構成の分量まで計算された美しさ。
作者である三島自身の肉体までナルシスティックに造形しようとする美しさ。
そうした三島が、自分自身の人生を作品として小説と一体化、昇華させたのが『豊饒の海』四部作です。
市ヶ谷の自衛隊司令部に突入し、横一文字に掻っ捌いて自決してみせるほど、憂国の想いを持った情熱家のように見せかけておきながら、この『豊饒の海』を読めば、三島の本心は、空虚感に満ちたニヒリズムであり、憂国の発言や行動は(自分の生命さえ投げ出していますが)全て、彼の人生そのものを完璧なまでに美しいものとして後世に残すための装飾でしかなかったのだと、私は確信しています。
この二つの作品そして二人の作家は、私の人生観に共鳴するものであり、私の人生観に影響を与えたものでもあります。
とめどなく溢れ出てくる、人生の無意味性、人生に対する虚無感、他人に対する嫌悪感、人間に対する絶望。
それでいながら、人生を肯定したいという思い、人間という哀れで愚かな存在への憐憫と愛情を捨てられないという、大きな矛盾。
この二人の作家と作品から受け取るメッセージは、私にはそのようなものです。
人生に挫折、絶望しているあなた。
どうか、これらの作品を読んで、人生なんて絶望する価値さえないろくでもない代物だということに気づいて、明日からも明るく生きてください。