「デート」は1890年にようやく誕生

1890年代に人びとが「デート」という言葉を作らざるをえなかったのは、それまでこの概念は存在すらしなかったからだ。かつては盤石だった結婚という制度がたえず攻撃され脅かされるようになった。

そして20世紀初頭には、崩壊の危機に瀕した。電気や自動車、鉄道、抗生物質など、まさに息をのむような変化が立て続けに起きていた。1880年から1920年のあいだに、アメリカの離婚率は2倍になる。

しかし、それから第二次世界大戦が起こった。大戦後、アメリカは好景気に湧き、それとともに結婚も好調になった。雇用が増加し離婚率が低下した。そして1950年代には、今でも多くの人が「伝統的」な結婚と考える「核家族」の絶頂期を迎えた。『うちのママは世界一』『ビーバーにおまかせ』『パパは何でも知っている』などのドラマに描かれているような、パパにママ、2・人の子どもと犬1匹。何もかもが素晴らしかった。

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しかし皮肉にも、今も多くの人が結婚の理想型ととらえるこの時代は一過性のものだった。歴史学者のスティーブン・ミンツとスーザン・ケロッグは、この時代を「例外中の例外」と呼んでいる。たしかに長くは続かなかった。

1970年代に入ると、「伝統的」な結婚はすでに崩壊しつつあった。アメリカの各州は、無過失離婚を認めだした。ただ自分が幸せでないというだけの理由で、法的に結婚生活に終止符を打てるようになったのだ。1980年には、アメリカの離婚率が50%に達した。

何世紀にも及ぶ変化がほぼ完了した。未婚者は、もはや半端者だとか不道徳だとか見なされなくなった。同棲カップルの数は急増した。妊娠したから結婚しなければならないということもなくなった。そして2015年、最高裁は同性婚を承認した。愛が勝利したのだ。

いや、愛は勝利をおさめただけでなく、歴史上初めて、結婚に不可欠なものになった。それがどれほど新しい概念なのか、私たちは忘れている。

人類学者のダニエル・フルシュカによれば、1960年代には男性の3分の1、女性の4分の3が、結婚前に愛は必ずしも必要ではないと考えていた。1990年代には、男性の86%、女性の91%が「愛していなければ結婚しない」と答えている。何世紀もかけて、結婚のテー マソングは、ティナ・ターナーの「愛と何の関係があるの」からビートルズの『愛こそはすべて』( “ All You Need is Love”)へと変化したのだ。