拾得物を探しに来る目的やきっかけは人それぞれ

そんな中、いまも返却事業にあたっている1つが、この三陸アーカイブ減災センターだ。
コンテナの中に入ると、壁一面に拾得物がずらりと並ぶ。スポーツ大会名が書かれた記念ボール、元禄元年と記された大きな鈴は寺院のものだろうか。内閣総理大臣だった佐藤栄作から贈られた賞状もあった。アルバムや写真、カメラ、母子手帳、へその緒まで保管されている。
センターでは、それら一つひとつをビニールで梱包し、大切に管理している。

〈写真が語る東日本大震災〉唯一の形見だった診察券からへその緒まで…被災者の思い出の品を保管、返還し続けて12年「今は受け取りたくなかった」かけられた言葉で気づいた震災後の被災者の気持ち_3
新生児と思われる手形と足形

品物には名前が書かれているものも多い。例えば、通知表や健康手帳もそうだ。センター内に保管されたランドセルは、中身などから持ち主は判明しており、彼らのいずれもすでに小学校を卒業しているそうだ。中には結婚式の寄せ書きもある。
秋山さんがいう。

「もう、この地域に住んでいない方や、震災を機に離婚された方などもいます。たとえば診察券が唯一の形見という方もいました。ここにあるものが、その人にとって、どんな位置づけのものかは、私たちにはわからないのです」

秋山さんらは、こうした様々な拾得物をリスト化し、学校や高齢者施設、企業などに貸し出し、持ち主を探す活動も行っている。また震災から時が経ち、都市部などに引っ越した者もいる。そうした人のために、各地で返却会も開催してきた。

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拾得物のデータをリスト化

「あるお婆ちゃんは、お孫さんが大きくなると、周囲から、お父さんの小さい頃にそっくりね、なんて言われるそうです。そこで、おばあちゃんが、ここに来て自分の息子の写真を探しにきたというケースもありました」(秋山さん)

自分や家族の幼い頃の写真を探しに来る人や、津波で亡くなった家族の写真を探しに来る人など、その目的はさまざまだ。
新幹線に乗って、わざわざ陸前高田市に訪れる人もいるそうだ。
一方、思い出の品や写真を探しに行っても、何も見つからなかったらショックだから探しに行けないという人もいるという。
「探すきっかけも、それぞれなんです」と秋山さんは話す。