平成時代の「チャイエス」興亡録

数年前まで、繁華街の一角で「オニーサン、マッサージ!」と時に強引に腕をつかんでくるアジア系の客引きに出くわしたことのある男性も、少なくないだろう。すべてではないだろうが、こうした客引きのなかには違法なチャイエスの従業員が含まれていた可能性も高い。

「東京ではゼロ年代には上野や大塚、巣鴨、五反田、蒲田、高田馬場、錦糸町、小岩、そして東西線沿線などに、チャイエスが多数入居する風俗ビルが乱立していました。2010年に入居店舗が大規模摘発を受けたJR上野駅浅草口付近にあるマンション『アルベルゴ上野』は特に有名で、12階建てマンションの全234部屋のうち、100部屋以上がチャイエス業者と関係していたと言われています」

中国経済の台頭とともに、チャイエスの現場から中国人の姿は減り、その穴を埋めるようにベトナム人の出稼ぎ労働者が急増した。

「2010年代中頃に中国のGDPは日本の約2倍に達し、かの国の若者が日本に出稼ぎに来る現象は激減しました。また、中国人観光客の増加に伴い、チャイエスで接客できる程度の日本語力があれば、インバウンド向けの免税店やドラッグストアなどで働いたり、ネットショッピングで中国向けに個人輸入をしたりするほうが、ずっと合理的かつ合法的にお金を稼げるようになったのです」

かくして、経営者は中国人のまま、チャイエス嬢の主力は中国人からベトナム人へと移っていったのだ。