岸田首相の発言で、緊迫した解散総選挙を巡る攻防はあっけなく終わった。
しかし、実際には今国会は6月16日解散に向けて綿密に舞台が作られていた。
それだけに、岸田首相が当の16日を待たずして、解散の可能性を全否定して舞台を降りてしまったことには、多くの国会議員や秘書、官僚、記者などが拍子抜けとなった。
永田町関係者は語る。
「今回ほど解散に向けてさまざまな伏線が張られた国会はなかった。
実際に解散があると見込んで、選挙に向けての事務所の確保やポスターの発注などを準備していた政治家は与野党ともにおり、秘書の多くは『今年の初夏は忙しくなる』と覚悟して予定を立てていた。
にもかかわらず、最大の山場である16日より前に岸田首相が『解散はない』と宣言してしまったことについて、多くの人は『急に総理が逃げ出した』と受け止めている」
敵前逃亡? 幻となった7月9日総選挙…なぜ岸田首相は衆議院を解散しなかったのか「情勢調査で議席40減」「マイナンバー問題で逆風」秋解散はあるのか?
「今国会での解散は考えておりません」――。6月15日午後6時すぎ。首相官邸で報道陣の取材に応じた岸田文雄首相は解散について問われると、何事もなかったかのような顔をして、けろりと答えた。振り回された永田町。その裏でいったい何が起きていたのか。
「急に総理が逃げ出した」

岸田首相はこの首相官邸で解散を正式に否定
解散に向けて張られたさまざまな伏線とは何だったのか。
天皇皇后両陛下が今月17日から23日にかけてインドネシアを訪問されることが明らかになって以降、国会では16日に岸田首相が衆議院を解散してもいいように着々と準備が進められていた。
解散は憲法で「天皇の国事行為」と定められており、実際に解散する際には天皇陛下がしたためた解散詔書が必要となる。
政府は天皇陛下が外遊中でも、臨時代行を立てれば解散できるという見解を示しているが、前例がないことから、それは現実的ではないと受け止められていた。
そのため「解散をするとしたら16日」というのが与野党の共通認識となっていた。
「情勢をよく見極めたい」と含みを持たせたが…
たとえば、今国会の対決法案のひとつになっていた防衛財源法案。
この法案の審議日程を眺めても、16日解散に向けた準備が行われていたことがわかる。
法案を巡っては、実施される防衛費の増額が、国民負担が増えることが前提となっていることから、野党各党は反対する姿勢で臨んでいた。
特に立憲は衆議院での法案審議の際、成立を阻止しようと徹底抗戦をし、財務金融委員長の解任決議案や、財務大臣の不信任決議案を次々に提出。一時は法案を成立させるためには国会の会期延長が必要になるのではないかと見込まれていた。
しかし、参議院ではこういった委員長解任決議案や、大臣問責決議案が出されることなく法案が採決されることに。16日に法案が成立するよう、急に日程が整えられていった。

岸田首相(本人facebookより)
防衛財源法案だけではない。
今国会で話題となっていたLGBT理解増進法案や、強制性交罪を不同意性交罪に名称を変更する刑法改正案も16日に成立するよう日程が組まれていったのである。
つまり、今国会の重要法案が全て成立し、岸田総理が心置きなく解散できる環境づくりが与野党協議の末に進められていたのだ。
それに呼応するように岸田首相自身の発言にも変化が見られた。
13日の会見で首相は解散について問われると「会期末間近になって、いろいろな動きがあることが見込まれ、情勢をよく見極めたい」と回答。
これまでは解散について問われても「今は解散は考えていない」と述べるにとどめていたことから、大きく含みを持たせる言い方に変わったと言える。
情勢調査で40議席減という結果に及び腰?
そして同じタイミングで永田町では解散した場合の選挙日程も流れ始めた。
それは、16日に国会が解散されたあと、27日に衆院選の公示が行われ、7月9日に投開票が実施されるというもの。
7月8日が故・安倍晋三元首相の一周忌であることから、与党関係者からも「安倍さんの命日になってさまざまな報道や特集が組まれるなか、岸田首相はそれを利用して弔い合戦のように選挙を演出するつもりだ」という声が挙がっていた。
しかし、結果的に、この選挙日程は幻と消えたことになる。
なぜ、ここまで解散の流れができていたのに、岸田首相は踏みとどまったのか。
その要因のひとつが、自民党が6月に入って実施した情勢調査の結果だと言われている。
調査による各政党の獲得議席数は「自民220、公明23、立憲114、維新75、共産13、国民民主9、れいわ6、参政1、その他諸派9」とされており、自民が40議席以上を減らすという衝撃の結果となった。

マイナンバーカードでのトラブル続出で矢面に立たされる河野太郎デジタル大臣(本人faceboookより)
実際、マイナンバーカードを巡って誤登録などのミスが相次ぐなど政府への批判は高まっており、報道各社の世論調査でも岸田政権の内閣支持率は下降局面にある。
また、東京での候補者擁立を巡って、自民と公明の関係はギクシャクしたままで、このまま東京の選挙区で自民候補が公明から推薦をもらえなければ、選挙で大打撃を受けるとも言われている。
与党議員からも「議席が減ってしまうなら無理に解散する必要はないのではないか」との声が漏れ始めていた。
こうしたなかで、逆に強気になったのが立憲である。
政党支持率で維新に追い抜かれるなど党勢が低迷している立憲だが、とはいえ、まだ維新は大阪周辺以外で選挙戦を勝ち抜く地力はない。
自民相手に有利な戦いを展開できるのであれば、選挙ではまだ勝機があるとし、立憲の執行部では主戦論が強まっていった。
そして15日のうちに立憲が「解散の大義になる」とも言われてきた、現政権に退陣を求める内閣不信任決議案を16日に提出する方針を決定。
解散するか否かのボールは完全に岸田首相に委ねられた。
すでに「次は秋解散か」との憶測
結局、16日になる前に「解散は考えてない」と表明した岸田首相。
政府与党幹部がこれまで「内閣不信任決議案が出されたら解散だ」と陰に陽に発言を繰り返してきただけに、「岸田首相が勝負から逃げた印象が強まってしまった」と与党関係者は嘆く。
一方で、立憲幹部からは「選挙になったら本気で戦うつもりでいたが、正直解散がなくてホッとしている」との声も漏れた。
強気だった立憲だが、現時点ではまだ衆院選で擁立する候補予定者数が150人に届いておらず、選挙の準備が出来ているとは言い難い状況だったからだ。
維新も同様の状況にあり、両党は今後、次期衆院選に向けて準備を加速し、しのぎを削っていくこととなる。

(泉健太事務所facebookより)
今国会の解散が見送られたばかりだが、すでに「次は秋解散か」との憶測が飛び交っている。
岸田首相の目玉政策である「次元の異なる少子化対策」では、児童手当の拡充などが発表された一方で、国民負担の議論に直結する財源確保策については年末まで結論を出すのを見送った。
冬に向けて社会保険料の引き上げなど、国民に負担を強いる事案が複数あるため、「冬になる前に解散すべきだ」(与党関係者)との意見は根強い。
ただし、このような政府与党の都合ばかりで解散戦略をこねくり回していては、国民の政治に対する不信感は高まるばかりだろう。
岸田首相は一度、解散総選挙という勝負の舞台から降りたからには、客席に並んでいる観客たちがいま、どんな顔をして舞台を眺めているのか、夏の期間をかけて、じっくり見て回ってもらいたい。
取材・文/宮原健太
集英社オンライン編集部ニュース班