1972年に創刊した「ロードショー」は、ほかの映画誌とは一線を画すユニークな雑誌でした。<映画にみる口説きのテクニック>とか、<世界のスター“さかな”見立て>とか。入口が映画であれば、料理の仕方は何でもあり。脱・専門誌をめざした企画の自由さとゆるさが、当時中学生の私には新鮮に感じられたものです。
それから15年後、出版社勤務を経てフリーになった私は、ライターとして「ロードショー」編集部に出入りさせていただくことになりました。初仕事は、1987年11月号の東京国際映画祭ガイドブック。以来2008年に休刊するまでの約20年間、ロードショーはライターとしての私の主戦場でした。
思い出深い企画はたくさんあります。1992年1月号から16回にわたって連載されたジャッキー・チェンの<成龍相談>もそのひとつ。言わずと知れた香港映画の大スター、ジャッキー・チェンが読者から寄せられた悩みに答える贅沢な人生相談ページで、私は、ジャッキーにインタビューして答えをまとめるアンカーマンを務めました。
ジャッキー・チェンの人生相談と、二日酔いのキアヌ・リーヴス
映画誌「ロードショー」(1972~2008年刊行)には、スターを題材にした型破りな企画や、今では考えられない記事がいろいろと掲載されていた。当時の執筆者による回顧&裏話シリーズ、今回は、大スターの取材を数多くこなした映画評論家の矢崎由紀子さんが、ジャッキーとキアヌの素顔をお伝えする。
レーベル復活記念寄稿 「ロードショーがあったころ」2
ジャッキー・チェンの人生相談コーナー!!

1980~90年代、ジャッキー・チェンの人気は爆発的で、ロードショーには毎号のように登場していた ©ロードショー1982年8月号/集英社
インタビューのために香港まで行ったこともあります。ジャッキーに指定された場所は、香港島の庶民的な中華料理店の2階。ジャッキーのお父さんが仲間と麻雀の卓を囲んでいるかたわらで、ジャッキーに夕飯をおごってもらいながら人生相談するという、かなりシュールなシチュエーションだったことを覚えています。
とはいえ、ページの内容はいたって真面目で、ジャッキーは読者の質問にひとつひとつ親身になって答えてくれました。モテない悩みを抱えた男子高生には、「かわいい女の子はこの先のきみの人生にたくさん現れるはず」と励ましの言葉をかけ、反対に、彼にフラれたかもと心配する女子大生には、「好きな女性のためならば、男はいくら忙しくても必ず時間を作る。デートを断る彼はあなたに嘘をついている」と忖度なしの辛口回答をズバリ。

『成龍相談』の記念すべき第1回
ジャッキーは、1980~90年代にかけてロードショーの屋台骨を支えた巨星ですが、そんな彼をカウンセラーにしてしまった<ジャッキーの成龍相談>は、入口が映画であれば何でもありという、「ロードショー」創刊当時の精神を受け継いだ企画だったように思います。
ベッドで飛び跳ねる二日酔いのキアヌ・リーヴス!!
もうひとりの忘れがたいスターは、キアヌ・リーヴスです。インタビューは何度かしていますが、1994年、『スピード』の宣伝のために来日したときの単独インタビューは、人生でもっとも緊張を強いられたものになりました。

配給会社がもらってくれたキアヌのサイン(矢崎由紀子さん所蔵)
といっても、緊張の原因はキアヌではなく、私たちのほうにありました。そのインタビューは、「ロードショー」の増刊写真集『スピード/キアヌ・リーブスのすべて』に掲載するものでした。
同写真集には、キアヌの友人のカメラマンが編集部へ直接売り込みに来た写真も掲載する予定になっており、その使用許可をエージェントを介さずキアヌ本人から取り付けるというインポッシブルなミッションを、我々取材陣は帯びていたのです。交渉役は、ウディ・アレン似の映画通として知られた名物編集者のK氏。彼の交渉がうまく運ぶように、キアヌのご機嫌を取り結ぶ役目も私は負っていました。
ところが、取材当日のキアヌのコンディションは最悪でした。場所は、都内の某ホテルのスイートルーム。時は、帰国日の朝。前夜の送別会で冷酒をしこたま飲んだとかで、キアヌの顔はむくみでパンパン。絵に描いたような二日酔いで、挨拶の言葉をひねり出すのもつらそうです。私の脳内は、「ヤバいよヤバいよ」と、出川哲ちゃんが大暴走。キアヌが顔をしかめるたび、「お願いだから吐かないで」と祈ったものです。
果たして無事にインタビューを終え、K氏の出番までたどりつけるだろうか?と、不安しかない取材の滑り出し――でしたが、好きで映画の仕事をしている人は、映画の話をしているうちに自然とのってくるものなのです。キアヌもしかりで、だんだんと目が輝き出し、『ハムレット』の主演舞台の話題が出たときには、「左利きを注意されながら決闘するハムレット」を、おどけながら熱演。
さらに、「ちょっと写真撮らせて」と頼むと、靴のままベッドに飛び乗り、『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキンよろしくピョンピョン跳ねるという、謎のハイ・テンションで対応してくれたのでした。そのタイミングを見計らって決行されたK氏のミッションも大成功。そんなこんなの安堵の溜息の中で完成した写真集は、あの時の焦りと情熱が詰まった宝物になりました。

苦労のかいあって写真集は大好評だった ©ロードショー/集英社 ※現在は販売しておりません
あれから28年。今では来日するスターの数がめっきり減り、取材もオンラインが主流に。その分、キアヌ取材のような濃密な体験はできにくくなったように思います。往年のスターの中には、記者を待たせたまま福島の<リカちゃんキャッスル>に行っちゃったデミ・ムーアとか、インタビューをすっぽかしてライブハウスでハーモニカを吹いていたブルース・ウィリスとか、やらかしてくれる人たちも多々おりましたが、彼らの武勇伝にアタフタさせられたおかげで、ちょっとやそっとの想定外の事態には動じないタフさが身に付いたのも確か。これも、「ロードショー」に感謝していることのひとつです。
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