後編 試合の激しさが増すスターダムと愛川ゆず季の引退理由はこちらから

女子プロレス団体・スターダムの勢いが止まらない。2019年にブシロード傘下となり、コロナ禍でも3年で売上高が5倍に成長。昨年3月の日本武道館大会を皮切りに、全国各地でビッグマッチを連発し、テレビ番組『We are STARDOM!!』はゴールデンに進出した。

現在の女子プロレスブームを牽引するスターダムだが、旗揚げ当初から順風満帆だったわけではない。今回は、旗揚げメンバーの愛川ゆず季、元ゼネラルマネージャーの風香、そして当時の社長であり、現エグゼクティブプロデューサーのロッシー小川が同窓会鼎談を開催! 旗揚げからの裏話をたっぷり語ってもらった。

スターダム誕生までを簡単に――
2004年にJDスター女子プロレスでデビューし、アイドルレスラーとして絶大な人気を誇っていた風香。そして全日本女子プロレスで北斗晶、クラッシュ・ギャルズら数々のスターを輩出したロッシー小川。2007年、この二人がタッグを組んだのが「風香祭」だ。2010年3月のファイナル興行まで、計13回もの興行を開催した。

風香の次のスター候補としてプロレスを始めたのが、グラビアアイドルの愛川ゆず季。2010年10月、「愛川ゆず季プロレス・デビュー戦 〜ゆずポン祭〜」でデビューし、2011年1月、ロッシー小川がスターダムを旗揚げすると、愛川もスターダム所属となる。そのタイミングで風香はゼネラルマネージャーに就任し、新人選手の育成に取り組んだ。

スターダム旗揚げから苦楽を共にしてきた3人は、いまのスターダムをどう見ているのか? ロッシー小川が目指す団体像とは?

「お金を目の前にして、変わってしまう人がたくさんいた」ロッシー小川、風香、愛川ゆず季の三人が語る、大人気の女子プロレス団体「スターダム」旗揚げ秘話_1
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お金を目の前にすると、変わってしまう人もいる

ロッシー小川(以下、小川) 旗揚げから12年目になるけど、8年、9年くらいは足踏みしたかな。上がっては下がって、上がっては下がっての繰り返し。この世界で一番になるという目標があるけど、到達しそうでなかなかしない。2歩進んで、3歩下がる。

愛川ゆず季(以下、愛川) 最初は手作りの状態でしたよね。小川さんが移動車の運転もして、売店の集計もして、全部やってたじゃないですか。そういうのは負担じゃなかったですか?

小川 負担ですよ。

愛川 パンフレットも全部自分で書いて、ポートレートも自分で作って。

小川 地方から朝4時とかに帰って来て、チケットの売り上げやギャランティなど会計作業が終わるまで寝ないの。そうすると8時になっちゃうわけ。で、昼まで寝て。当時は10業務があるとしたら、自分が10やってたんですよ。いまは10のうち、1つしかやってない。

愛川 それがいわゆる会社っぽくなったという表現になると思うんですけど。小川さんは「信用が一番大事」だとよく言ってましたよね。いままで、たぶん痛い思いも……。

小川 お金を目の前にすると、変わってしまう人もいるから。

愛川 実際、いました?

小川 いっぱいいた。ここでは話せないことばかり…(笑)。

風香 怖い!

愛川 だから小川さんは全部のことを一人でやってるんだろうなって。

小川 それは売上とかの問題で、人を雇える状況じゃなかったから。本来ならいろんな部署にいろんな人がいて成り立つ仕事を一人でやるから、そこそこしかできないんですよ。選手の人気とか勢いでやってきたけど、それでは限界がある。だから前進したかと思ったら後退してっていうのを常に繰り返す。一人の力なんて、たかが知れてるんですよ。