「名前がつく」それが生きやすさにつながった

——本書では、五十嵐さん自身が「CODA(コーダ)」だと知って大きな変化があったことに触れています。APDの当事者にも同じことが起こりうるのでしょうか。

断言はできませんが、同じような思いを抱く人が何人もいました。私は、CODA(Children of Deaf Adults。耳が聞こえない、もしくは聞こえにくい親の元で育つ子ども)という言葉を知らなかったとき、大きな孤独を感じていましたし、両親との関係も良好とはいえませんでした。

しかし自分がCODAだと分かったとき「自分には同じ境遇の仲間がいるんだ」「一人ではなかったのだ」と思い、世界が開けたような気がしました。マイノリティ当事者が自分の“ラベル”を知ることは、ときに大きな安心感をもたらすことがあるのだと思います。

その後CODA同士での交流を始めてからは、同じCODAでもそれぞれ状況や悩みが違うことや、当たり前ですが中には気が合わない人もいることがわかります。それでも、いろいろと説明しなくて済む関係性はとても気楽です。何より、心理的安全を感じる場所ができたこと、そして人生にポジティブになれたことはとても大きな変化だと感じています。

APD当事者の方も、APDという“ラベル“に自分が該当すると分かれば、自分の正体がはっきりするような感覚が生まれると思います。また、同じ“ラベル”をもつ人と強固な関係性が築きやすくなるでしょう。職場などではこれまでよりも自身の症状や状況を伝えやすくなり、さまざまな配慮を受けやすくなる可能性もあります。

現在LINE上にAPDのオープンチャットがあり、1,387人が参加しています(2023年1月19日時点)。私も取材のために参加したのですが、新しく参加した方が悩みを当事者に打ち明けてホッとしている様子を見ると、CODAと分かった頃の自分と重ね合わせてしまいます。