――『デス・ゾーン』には、栗城さんが「最後の別れのハグをした」人物についても記されています。
河野 そうですね。僕の知る限りでは、その人は栗城さんが苦しみを吐露することができた唯一の人物です。その人を紹介してもらえて、取材できたというのはとても大きかったですし、僕の中の栗城観を変える一番のきっかけになった気がします。指を失った後の彼と再会したときに「栗ちゃんの深い孤独を感じた」という、貴重な証言も得られました。
もともと彼が調子の良い男だというのは知っていましたし、弱さやずるさみたいなものも当然あるんだろうなとは思っていました。10年前の時も、山に登りながら「苦しい」とか「ああ~辛い、下りたい~」みたいなことは口にしていました。でも、どこまで本音でどこまで演技なのかはわからなかった。その奥にある本当の辛さというか、人間としての感情をともなった本音みたいなものは見えなかったんです。
それが、ノンフィクションの取材を通してかなり具体的に見えてきました。
――かつての「密着取材」中に、栗城さんがテレビ撮影を意識してトレーニングをやり過ぎて倒れてしまい、「撮らないで……」とお願いしてきた、というシーンがあります。『デス・ゾーン』の中でも印象的な場面の一つでした。
河野 結局、僕はその場面を撮影しなかったのですが、今ではとても悔やんでいます。なぜ、彼の「かっこ悪い」側面も含めて、等身大の栗城さんを撮らなかったのだろうと。あの頃の栗城さんは上り調子だったこともあり、よく壮大なことを言っていて、ときどき少しうさん臭さも感じていたのですが、反面、弱さというのは決して見せてくれませんでした。
そんな見えづらい栗城さんの心の底を、近くでちゃんと受け止めていた人もいたんだなあ、実際に自分の辛さを打ち明けられる人がいたというのは良かったなあ、と。彼にとっても、それを描く僕にとっても良かったなと思います。
あと、彼のネット民とのやり取りを逐一調べて掘り返していくうち、彼の荒んでいく気持ちも少しずつわかり始めたんですよね。例えば、一時期彼の行動が空回りしてしまって、ネットで「炎上」することが増えたことがありました。記録を見ると、けなされたからつい言い返して、それでかえって大バッシングを浴びてしまったという経緯でした。
これは厳しいだろう、辛かったろうなと思うような情報にも触れて、彼の調子の良さとか、弱さやずるさみたいなのが、なんか妙に僕の中で像を結んだというか、腑に落ちてきたんですね。知らなかった彼の10年間を追ううちに、僕が取材して知っていた頃の栗城さんと、むきになってネット民に言い返している栗城さんとか、凍傷になってしまって指を切断しないといけないはずなのに、諦めが悪くあの手この手を探そうとする栗城さん。その一つ一つの姿が繋がっていったといいますか。
それで、「ああ、彼はここでこんなこと考えたんだろうな」っていうのが、なんとなく僕の中でストンと落ちてきた。ようやく彼のことが人間臭くて、ちょっといとおしい存在だと思えるようになりました。もっとも、それは僕の想像や憶測に過ぎないと言われれば反論できないのですが……。
“異色の登山家”栗城史多氏をテレビ番組で取り上げ、彼の「劇場」に加担した反省と責任
『デス・ゾーン』著者・河野啓氏インタビュー【後編】