上京後、AVプロダクション設立、そして芸能界デビューの成り上がり…

自殺直前の母の忘れられない一言とは。「大人は誰も信じられない」喧嘩に明け暮れて大立ち回りの後に上京、AVプロダクション設立、嘘だらけの芸能界デビュー、嶋大輔との伝説の喧嘩を高知東生が語る_5

――すさまじいエピソードですね……。

でも、さすがにもう地元にはいられないと思って、大丸を辞めて、東京へ行ったんです。まわりには矢沢永吉の『成り上がり』を読んで影響されたとか言ってましたけど、実際は逃げたんですよ。あそこまでのことをしてしまったら、いずれ本当は中井の親父の息子じゃないってこともバレるだろうし。だったら東京で成功して、笑い話になる頃に凱旋しようって。

――東京へ行ってからは、どんなことをしていたんですか?

昼は原宿のテント村でアルバイト、夜はホストクラブの皿洗い、そこからホストもやるようになって、お店のナンバー1にもなりました。あとは、ショーパブで働きながら舘ひろしさんのものまねをやったり。まったく似てなかったですけどね。

ほかにもDCブランドのコレクションにモデルとして出たり、その縁で新宿の伊勢丹で働いたり。時代もバブルでしたから、俺も若くて体力もあって、何でもやりましたよ。

――そこから、アダルドビデオの会社を立ち上げるんですよね。

東京でも知り合いがどんどん増えていって、夜の遊びも覚えていきながら、知り合いから声をかけられて、アダルトビデオの女優さんになりたい子を紹介したりしているうちに、自分と仲間でAVプロダクションを立ち上げました。

当時のアダルトビデオは顔も隠していたし、組関係の人との繋がりもなかったし、いわゆる強要とかも、少なくとも自分が関わってきた仕事にはなかったです。最初の妻もアダルトビデオの女優さんでしたから。

――まさに東京で成り上がっていったわけですね。

金を稼げるようになってからは、ひたすら散財の毎日です。車を何台も買って、クラブやディスコのVIPルームでどんちゃん騒ぎ。ゼロハリバートンのアタッシュケースに現金だけ入れて銀座に行ったりね。最初に薬物を覚えたのもこの頃です。

でもそんなバカみたいなことばっかりしていると、当然まわりの人間も怪しい人が多くなって、人間関係でも仕事でもトラブルばっかり起こるわけですよ。正直グレーな商売もやっていました。裏金も手に入れて。ヤクザにこそならなかったけど、こんな生き方でいいのかなって。

そんな疑問を抱えているときに、ディスコで嶋大輔と出会って、今度は自分が出る側として、芸能界に入っていくわけです。