もともとは町のおもちゃ屋だった壽屋が
なぜホビーメーカーへ?

エヴァ、鬼滅のフィギュアやプラモを作る壽屋が70周年! 町のおもちゃ屋が偶然と意地で世界的ホビーメーカーになれた理由_1
取材に協力してくれた清水聡氏
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フィギュアやプラモデルの企画、販売を中心に行い、ホビーメーカーとして名を馳せる壽屋は、その造形技術の高さからなるディテールへの熱烈なこだわりにより、国内外問わずファンが多い。

“世界の壽屋”を求めて、はるばる日本へと来日し同社のフィギュアを買い求める外国人の姿も珍しくはないのだ。

そんな壽屋だが、意外にもその歴史は小さなおもちゃ屋から始まったという。

エヴァ、鬼滅のフィギュアやプラモを作る壽屋が70周年! 町のおもちゃ屋が偶然と意地で世界的ホビーメーカーになれた理由_2
創業当初の壽屋

「弊社は1953年1月に東京都立川市でおもちゃ屋として創業しまして、しばらくは地元のお客様向けに雛人形や五月人形の販売をしていました。また立川にはかつて米軍基地があったので、兵隊さんを含めた地元のお客様に国内玩具の販売もしていまして、一年のうち半分は節句人形、もう半分は国内玩具を取り扱っていたんです」

こうした町のおもちゃ屋さんとしての営業は30年以上にも及び、立川の人々から愛され続けたが、1980年代中頃に転機を迎えることになる。

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© KOTOBUKIYA (84年の製品)こちらは壽屋が初めて製品化したアーマメントだ

「今も昔も立川周辺は、美大生やデザイン関係の方が多い地域でして、80年代当時、そういったアンテナの高いお客様のあいだでガレージキット(合成樹脂の成型方法『レジンキャスト』で作る組み立て式の模型)が流行っていると聞きました。

実物を見てみると、『これなら我々でも作れるかも』という気持ちが沸々と芽生えてきたんです。そこで当時の模型コンテストで優秀賞を受賞したお客様の作品を原型として使わせてもらい、販売したのがホビーメーカーとしての始まりです」

1989年には完全可動式のガレージキットを発売。ガレージキット業界内で初の試みだったこともあって、一躍注目の的になった。が、現在では考えられない方法で製作、販売していたという。

「当時は生産体制がしっかりと整備されていなかったので、おもちゃ屋の店舗のバックルームで製品を作っていたんです(笑)。出来立てを売るたい焼き屋さんみたいに、お客様から注文が入り次第、シリコンの型に樹脂を流し、部品を抜き取るという、今思えば無茶なことをやっていましたね(笑)」