グローバリゼーションって
何だったの?

上野 いまの私たちは、十六世紀から二十一世紀にかけてのアーリーモダンとモダンとポストモダンのつながりの中にいるのだと巻頭言にありましたね。そうしてみると、近代、モダンとは一体何だったのかという問いが10巻から12巻までの課題なのだと思います。その中で一番大きな軸はグローバリゼーションです。そしてモダンとポストモダンの一つの分岐点が、ネーションステート(国民国家)と、モダンファミリー(近代家族)の形成と解体です。
 10巻から12巻にかけては、グローバリゼーションの下での国民国家の形成期を扱っています。そこで起こるのが帝国主義のもとでの植民地化とそこからの民族解放運動や独立運動です。私が10巻の月報に書いたのは、植民地化と脱植民地化のプロセスがワンセットになっているのが、アーリーモダンからポストモダンにかけて起きた世界史的な出来事だということでした。ポストモダンではグローバリゼーションがさらに加速して、近代の産物だった国民国家と近代家族のセットを解体してくれるはずだったのです。
 それを証明したのが、EUの成立とソ連邦の崩壊です。この二つの大きな出来事で近代は終わると期待した。にもかかわらず、新型コロナウイルスの蔓延とウクライナ侵攻によって、時代は大きく後退しました。国家は解体するどころか、また息を吹き返しました。そこで痛感したのは、グローバリゼーションって何だったの? ということなのですが、姜さん、いかがですか。

 全く同感です。国家が緊急事態宣言によって人の移動を止めればあっけなく経済が止まってしまう。これほど市民社会というのは脆弱なのかと痛感した。

上野 ここに来て、ナショナリズムや民族紛争という十九世紀の亡霊が復活してきました。そこにジェンダーを絡めると、フランスでもイタリアでも、女が極右の政治的リーダーになるという事態が起きています。

 かつて上野さんと、オバマと(ヒラリー・)クリントンとどちらがいいかというのをちょっと冗談で話していたじゃないですか。ぼくはオバマで、上野さんはクリントンだったわけだけど、オバマになってよかったかというと、そんなことはまったくなかった。つまり、アフリカ系の出身だからいい政治をやってくれるなんて思っていたぼく自身が、甘ちゃんといえば甘ちゃんなんだけど、それがいま、こっぱみじんに粉砕されたというのは、ご指摘のとおりです。

上野 女なら誰でもいいのか、というのと同じです。植民地化はグローバリゼーションが進まなければ決して起きなかったことですが、その後、帝国主義戦争の結果として独立戦争が起きました。そのプロセスで起きている脱植民地化の課題を、私たちはいまだに解決できていません。時間の幅を考えると、どんなに少なくても三世代はツケが残る。いまのウクライナ侵攻のツケは、ウクライナの人にとってもロシアの人にとっても、三世代、およそ一世紀分のツケが残ると思います。

 特に日本の場合は、脱植民地化が、宗主国にとっての脱植民地化と植民地化された国の脱植民地化がまるっきり重なっていない。そこがいまの日韓関係として現れているのだと思う。
 自分たちが歴史的に獲得したものすら崩壊するかもしれないと思って、少し頑張ろうという気になるのですが、ポストモダンに対する上野さんのインプリケーションはずいぶん変わりました?

上野 モダンというのは国民国家と近代家族のセットから成り立っていて、国民国家は近代家族に依存しました。近代家族の方は人口学的に解体しています。国がどんなに少子化対策をいっても、個人は動きません。
 それに対して近代家族を死守せよと断末魔の叫びを上げているのが、旧統一教会や日本会議です。

 旧統一教会が家族連合といっているのはいみじくそうなわけですよね。だから、これは根が深い。本来だったら解体して跡形もなくなっているものが自分たちの理想になっているという空恐ろしい事態が起きている。依然として国家がこんなにも強靭なのかというのは改めて考えさせられました。

上野 国民国家と近代家族のセットの一方が解体すれば、もう一方も安泰ではいられないはずなのですが、これが執拗によみがえってきます。民族という概念もナショナリズムという概念も、そのつど、再領有されて、ゾンビのごとく復活するのを私たちは目の当たりにしています。

 歴史は変化するけれども、それは進化でも発展段階でもなくて一歩前進、三歩後退、五歩後退もあり得る。そこにある先入観を持たずに人々はどう生きたのかということをここから学んでくれればいいなと思いました。

上野 人物史であることの価値はそういうことですね。かつての唯物史観は、歴史の発展は必然であるといいました。必然であるなら、黙って寝て待っていれば歴史は変わるのかといえば、いや、それは階級闘争によってしか変わらないんだと、階級的主体形成をマルクス主義者たちはいってきた。
 しかし、そういう無理筋なことをいうよりも、目的も定向的な進化もないところでは、私たちが変化を起こそうと思えば、不断の努力をするほかないということです。日本国憲法が「国民の自由及び権利は国民の不断の努力によって保持しなければならない」とあるのと同じですね。不断の努力をいっときたりとも怠ってはならない。怠った途端に押し戻される。怠った途端に隙をつかれ、つけこまれる。それは困難でもあり希望でもある。それが、歴史から目的がなくなったことの効果であり、私たちが人物史から学ばなければならない意味だと思います。

 目的論がなくなったことで、パルタイ的な前衛原理はもうとっくに崩壊したわけですよ。だから、あとは、個々人が自分の人生をどう生きるか。これはとても重要なことで、いい結論が出ましたね。

12月1日に刊行開始となる集英社創業95周年記念企画『アジア人物史』[全12巻+索引巻]は、古代から21世紀へと駆け巡った人物たちの評伝を積み重ねて描いた、初の本格的アジア通史。170名を超す研究者たちによってあぶりだされた総勢10,000名にいたる登場人物たちの軌跡を追いながら、広大なアジア全領域が一望できる、東洋史研究の集大成ともいえる全集です。
刊行開始にあたり、各巻の登場人物を一部紹介するとともに、本全集の総監修を務める姜尚中さんと、第10巻『民族解放の夢』の月報にエッセイを寄せる上野千鶴子さんとの対談をお送りします。本全集の魅力の一つでもある漫画家・荒木飛呂彦さん(『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ)による描き下ろしカバーイラストにもご注目ください!

第1巻 『神話世界と古代帝国』

ハンムラビ/ダレイオス1世/イエス/ブッダ/アショーカ/孔子/始皇帝/冒頓単于/司馬遷/王莽/曹操/カニシュカ1世/カウンディンヤ/プールナヴァルマン/他。

月報 エッセイ:原 泰久
2023年1月26日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第2巻 『世界宗教圏の誕生と割拠する東アジア』

ナーガールジュナ/ブッダゴーサ/苻堅/昭明太子/蕭皇后/文帝/広開土王/長寿王/武寧王/真興王/厩戸王子/金春秋/神文王/天智天皇/ムハンマド/他。

月報 エッセイ:内田 樹
2023年2月24日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第3巻 『ユーラシア東西ふたつの帝国』

武則天/玄奘/元暁/道慈/ソンツェンガムポ/トニュクク/安禄山/杜甫/黄巣/サンジャヤ/シャイレーンドラ/ジャヤヴァルマン2世/マアムーン/耶律阿保機/王建/他。

月報 エッセイ:ヤマザキマリ
2023年8月25日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第4巻 『文化の爛熟と武人の台頭』

藤原道長/白河院/慈円/李子淵/李資謙/ラージャラージャ1世/ジャヤヴァルマン7世/司馬光/徽宗/李清照/朱熹(朱子)/バイバルス1世/崔忠献/他。

月報 エッセイ:佐藤賢一
2023年6月26日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第5巻 『モンゴル帝国のユーラシア統一』

チンギス・カン/クビライ/ラシードゥッディーン/関漢卿/王重陽/丘長春/北条泰時/夢窓疎石/忠烈王/ニザームッディーン・アウリヤー/ガジャマダ/イブン・バットゥータ/イブン・タイミーヤ/他。

月報 エッセイ:北方謙三
2023年10月26日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第6巻 『ポスト・モンゴル時代の陸と海』

ティムール/李成桂/世祖/足利義満/尚巴志/藍玉/鄭和/王陽明/メフメト2世/バーブル/王直/ダンマゼーディー/ムザッファル・シャー/黎聖宗/范公著/サン・ペドロ・バウティスタ神父/他。

月報 エッセイ:大澤真幸
2023年12月15日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第7巻 『近世の帝国の繁栄とヨーロッパ』

イスマーイール1世/スレイマン1世/エヴリヤ・チェレビー/アクバル/ザビエル/豊臣秀吉/光海君/李舜臣/李滉/李珥/鄭成功/康熙帝/黄宗羲/ダライ・ラマ6世/ニャウンヤン/他。

月報 エッセイ:田中優子
2022年12月1日刊行・発売記念特価 3,960円(税込)
※2023年12月31日まで

第8巻 『アジアのかたちの完成』

羽地朝秀/雨森芳洲/徳川吉宗/荻生徂徠/李瀷/乾隆帝/阮恵/阮福暎/ハイダル・アリー/ラームモーハン・ローイ/ミドハト・パシャ/中央アジアの知識人群像/容閎/西太后/袁世凱/他。

月報 エッセイ:浅田次郎
2022年12月1日刊行・発売記念特価 3,960円(税込)
※2023年12月31日まで

第9巻 『激動の国家建設』

崔済愚/高宗/幕末群像/福沢諭吉/渋沢栄一/伊藤博文/内村鑑三/内藤湖南/孫文/サヤー・サン/ジャマールッディーン・アフガーニー/メヘディー・コリー・ヘダーヤト/ケマル・アタテュルク/中央アジアの革命世代群像/他。

月報 エッセイ:高橋源一郎
2024年2月26日刊行予定・予価 4,400円(税込)

第10巻 『民族解放の夢』

尹致昊/金マリア/李載裕/魯迅/張愛玲/林献堂/カルティニ/カマラーデーヴィー・チャットパディヤーイ/オリガ・レベヂェヴァ/アブデュルレシト・イブラヒム/アブドゥッラフマーン・ハーン/ジェブツンダムバ・ホトクト8世/サアド・ザグルール/マラク・ヒフニー・ナースィフ/後藤新平/夏目漱石/柳田国男/吉野作造/平塚らいてう/伊波月城/他。

月報 エッセイ:上野千鶴子
2023年3月24日刊行予定・予価 4,510円(税込)

第11巻 『世界戦争の惨禍を越えて』

金性洙/金天海/京城帝国大学関連人物/台北帝国大学関連人物/蔣介石/胡適/毛沢東/ピブーン/スカルノ/アウン・サン/ホセ・リサール/ガーンディー/モサッデク/昭和天皇/尾崎秀実/中野重治/林達夫/李香蘭/山代巴/他。

月報 エッセイ:テッサ・モーリス-スズキ
2023年4月26日刊行予定・予価 4,510円(税込)

第12巻 『アジアの世紀へ』

朝鮮戦争関連人物/金大中/鄧小平/李登輝/ブルース・リー/ダライ・ラマ14世/ホー・チ・ミン/スハルト/マルコス/ネーウィン/サリット/シハヌーク/マハティール/リー・クアンユー/ベトナム戦争関連人物/ネルー/アフガニスタン紛争関連人物/ホメイニー/ナセル/アラファト/石坂泰三/野坂参三/岸信介/丸山真男/水木しげる/大田昌秀/他。

月報 エッセイ:池上 彰
2024年4月26日刊行予定・予価 4,510円(税込)

※タイトル・内容・価格などは変更になることがあります。また、一部地域では発売日が異なります。
集英社創業95周年記念企画『アジア人物史』(全12巻+索引巻)
総監修:姜尚中
2022年12月1日(木)
ISBN:-
編集委員 ※五十音順:青山 亨〈東南アジア〉/伊東利勝〈東南アジア〉/小松久男〈中央アジア〉/重松伸司〈南アジア〉/妹尾達彦〈中国〉/成田龍一〈日本〉/古井龍介〈南アジア〉/三浦 徹〈西アジア〉/村田雄二郎〈中国〉/李成市〈朝鮮半島〉

装丁:水戸部功

カバーイラスト:荒木飛呂彦

2022年12月1日(木)発売
以降続々刊行予定
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