「人間なんてこんなもんだ」
と思える本が好き

―― そんな妙齢女子特有の心の揺らぎも赤裸々に描かれていますが、日々の生活の中で生まれるネガティブな感情もユーモラスに語って笑いに昇華。親友のいとうあさこさんが「24時間テレビ」(日本テレビ)のマラソンに挑戦した際、痩せて綺麗になっていく彼女を見て「ヤバい、モテてしまう」と焦り、心配しているふりをして「ちゃんと食べなよ」を連呼。必死に太らせようとしていたエピソード、大好きです(笑)。

 本当、何度読み返してもひどい話ですよねぇ(笑)。でも、これって、私だけじゃなく多くの女性が持っている感情だと思うんですよ。

―― 他にも、女友達の恋人がダメ男であるほどホッとするというエピソードだったり。結婚が決まった友達に「おめでとう」と言いながら心の中でつい破談を願ってしまう、そんな独身女性の真っ黒な心の内側も大久保さんが代弁。それだけでなく、夕方のスーパーで見切り品を漁る自分、ボロボロになっても捨てられないおパンティ、泥酔して犯した失敗の数々……カッコ悪いところやダメなところも隠さず赤裸々に描かれていて。だからこそ、読み手は「私だけじゃないんだ」とホッとする、「人間、ダメでもいいじゃん」と気持ちがラクになる、それもこの本の魅力だなと感じました。

 それは嬉しい感想ですね。私自身、明るく前向きでキラキラした“ハッピーポジティブエッセイ”はあまり好きじゃなくて。それよりも、人間のダメな部分を掘り下げたエッセイが好きでよく読むんですよ。

 例えば、西村賢太さんの『一私小説書きの日乗』。作家としてはものすごく立派な方なのに私生活はダメダメ。真夜中に急に暴飲暴食をしたりする、そのダメな部分がまた面白くて。板尾創路さんの『板尾日記』も好きですね。そこにはなんの事件も起きない、板尾さんの日常が綴られていたりするんですけど……。実際、人間の生活なんてそんなもんで、何も起きないのが普通なんですよね。その坦々とした生活を盗み見るのが私は好きで。西村さんの日記然り、板尾さんの日記然り、なんか安心するんですよ。「人の生活ってこんなもんだよな」って、「人間ってこんなもんだよね」って。華やかなパーティーや派手な生活をSNSにアップする人もいるけれど、彼らの日記は「皆が皆、毎日そんなキラキラした生活を送っているわけがない」と私を安心させてくれる。毎日が100点満点じゃなくてもいい、70点取れればそれでいい、家で缶ビールを美味しく飲めればそれだけで幸せ、そんな気持ちになれるんですよ。
 だからこそ、この本もそんな存在になったらいいなと、そんな思いがどこかにあったのかもしれませんね。こんな生活を送っているおばさんがいるよ、表舞台ではちゃんと働いているけれどプライベートはダメダメだよ、心がブレブレで揺らぎまくっているよ、だからあなたも大丈夫だよって(笑)。

驚くほど美味しかった豚の角煮に
人生を垣間見る

―― この本には大久保家の食卓についても語られています。

 家族の話、結構しているんですよね。それは、やっぱり「食」をテーマにした連載だったからこそ。改めて、家族のエピソードを振り返ると「ああ、私はやっぱり大久保家で育ってきたんだな」と気付かされることも多くて。

―― このエッセイは連載当時から多くの共感が寄せられていました。それは大久保さんが読者と同じ感覚を持っているからこそ。芸能界という独特な世界で活躍しながらも庶民的な感覚を忘れない、地に足がついたその感覚も大久保家で培われたものなんだなと、今作を読んで改めて感じました。

 子供の頃の食生活や家族環境が、やっぱり自分の土台になっているんですよね。特に裕福なわけではなく“カルピスは常に薄め”な堅実な家庭で育ったからこそ、ある程度、稼げるようになった今も千円の食パンを目の前にすると買うのを迷う。その結果、いつもの食パンを「これも十分おいしいから」と買って帰るっていうね。

――“大久保佳代子”がどう作られてきたのかも知ることできる、それも今作の面白いところですよね。

 いつ、誰と、何を食べたか。「食」はその人の人生と深く絡み合っているんですよね。作る料理もまた同じで。この間、地元に帰ったときに高校時代の友達と集まったんですけど。まあ見事に全員、気持ちいいほどに独身でね。カラオケに行けば「足を蹴った」「蹴らない」で51歳のおばさんが大喧嘩(笑)。その関係性は高校時代と何も変わらず、まるで時間が戻ったような感覚に陥りました。でも、その中の一人の家にお邪魔したとき、出された豚の角煮は驚くほど美味しくてね。彼女はご両親を最後まで一人で看取ったんだけど。毎日、毎日、両親のために料理を作り続けたから、こんなに柔らかくて美味しい角煮を作れるようになったんだなって……。目の前の一皿に彼女の人生を垣間見たりして。

―― 今作で大久保さんは「40代、誰のためではなく自分のために、ただ生きるために残飯のような食事を作っていた」と語っていますが。この先、どんな料理を作り、誰と食卓を囲み、どんな時間を紡いでいくのでしょうか。

 どうなんでしょうねぇ。どちらかというと、目標を掲げて前に進むというよりは、流れに身を任せて進むタイプ。今も「気づいたら、こうなっていた」という状況なので。未来の自分がどうなっているかなんて想像もつかないんですけど……。思うのは「きっと、50代も60代も同じように大変なんだろうな」ってこと。振り返ると、40代だけじゃなく、20代も30代も大変だった。その“大変”の内容は変わるけれど、心が揺れ動くのはいつの時代も同じなんですよね。特にこの先は閉経が待っていたり、今は元気な両親もいずれ亡くなるだろうし、自分も病気になったりするかもしれない。一人では抱えきれないものも増えていくだろうからこそ、自分から「ゴハンに行こうよ」と誘える、周りにちゃんと甘えることができる、そんな自分でありたいですよね。
 あとは、できることなら50代のうちに酒量もちゃんと減らしたい。1日の終わりには必ず飲むし、休日も昼から飲んじゃうし、もうね、私にとって酒は趣味みたいなもんだから。だからこそ、「飲み過ぎだよ」と止めてくれる誰かがそばにいてほしい……。“ひとり飯”や“ひとり飲み”は気楽で楽しいけれど、人間、“ひとり飯”や“ひとり飲み”だけでは生きていけない。それが51歳の今、私が感じていること。友達でもいい、パートナーでもいい、誰でもいい、とにかく誰かと食卓を囲める“これから”を過ごせたらいいなって。

<主な内容>
家族 私を育てた大久保家の飯
恋愛 男と女と欲とエロス、甘く苦い恋の味
女友達 悲しいとき、楽しいとき、支え合う仲間と囲む食卓
仕事 働いて手に入れる、とびきりの一皿
ひとり飯 人生を「ひとり」で歩く妙齢女子の「おひとり様」ゴハン

まるごとバナナが、食べきれない
大久保佳代子
2022年10月26日発売
定価 1,540円(税込)
四六判/192ページ
ISBN:978-4-08-781725-6

「わかる!」「あるある!」
”妙齢の女性”たちの共感の嵐を呼んだ『Marisol』連載を、大幅に加筆・改稿。
待望の単行本化!

退屈な食卓に、ひと匙のユーモアを。

本当は受け継いでいきたい「大久保家の味」。
酒の力を借りてぐいぐいアピールしてきた若かりし日の恋。
大福の皮とあんこを分け合う、相方・光浦さんとの関係。
OLと兼業だった自分を育ててくれた『めちゃイケ』の思い出……。
体力・食欲・性欲…いずれも減退していく40代から50代へ。

大久保佳代子の半世紀を食の思い出ともに、
等身大の飾らない文章でユーモラスに描いた、妙齢女子たち大共感のエッセイ42本。

【本文より】
私にとっての40代は人生の分岐点でもあったと思います。
というのも、私の最後の恋愛は40代前半で。たまに思うんですよ。あそこで一発逆転を決めていれば、結婚していたかもしれないし、子どももいたかもしれないなって。
40代はまだそんなラストチャンスが残されているんですよね。でも、私はそのチャンスを掴もうとしなかった。仕事も楽しかったし、変なプライドもあったしね。
それを50歳になった私は少し後悔している。「あそこでもう少し足掻けばよかったな」と……。
すべては自分が選んだこと。ひとりで生きている今の自分は「しょうがないよね」と受け入れています。(「四十路の恋と後悔と」)

【目次】
●家族 ―私を育てた大久保家の飯―
冷や飯とふりかけ。兄妹だから、わかる味/どんな高級店よりも美味い、母親が握る武骨なおにぎり/愛犬パコ美を太らせた、独女の寂しさと甘やかしメシ ほか

●恋愛 ―男と女と欲とエロス、甘く苦い恋の味―
酒の席の反省を『ピルクル』と一緒に飲み干す二日酔いの朝/大好物のイクラも、幸せも、「すぐ食べない」が大久保流 ほか

●女友達 ―悲しいとき、楽しいとき、支え合う仲間と囲む食卓―
「もっと太れ、もっと太れ」と願いながら親友にすすめる高カロリー食/咀嚼が面倒で素うどんをすする、大人女子の憂鬱な休日 ほか

●仕事 ―働いて手に入れる、とびきりの一皿―
語りつくせぬ思い出が詰まった『めちゃイケ』めし/大福の皮とあんこを分け合う、光浦さんとの不思議な関係 ほか

●ひとり飯 ―人生を「ひとり」で歩く、妙齢女子の「おひとり様」ゴハン―
持て余した母性を注ぎ育てる、妙齢独身女
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