数々の幻覚症状との闘い

そもそも、通常の登山者なら踏破するのにコースタイムで1か月以上を要するこのコース。選手たちはただでさえ睡眠時間を削って進むしかないのだが、予定よりペースが遅いなどの事態に陥ると、ほとんど眠れなくなる。
そうなると、冒頭で掲げた幻覚のお出ましだ。

「山中を白い軽トラックが走り回る」
「女子高生の集団が手招きをしているので寄っていくと崖」
「ないはずの山小屋が林立」
「人の顔がびっしり刻まれた石」
「見たことのない奇怪な漢字で埋め尽くされる家の壁」
「右足と左足がそれぞれ人格を持って語りかけてくる」

と枚挙に暇がない。
幻覚だけで済めばよいが、判断能力が弱まると、何度も同じルートを行き来する者や、道ばたの草を何十分と、突っつき続ける者まで現れる。

肉体的な疲労も凄まじい。日焼けや、靴擦れは当たり前、足裏全部が一つのマメになってしまう者、直径3センチの水疱が膝裏に出る者、転倒して鎖骨を骨折する者もいる。

「自己責任」の原則を重視し、選手各々に高い規律が求められるが、全選手の位置はGPSで把握されていて、何かあれば強制的にレースを中断させる仕組みも整えられている。
過去、死亡者は一人も出ていない。

かくも規格外のレースゆえ、出場するために求められる条件はシビアだ。フルマラソン3時間20分以内、もしくは100kmマラソンを10時間30分内に完走する走力、標高2000m以上の高地で10泊以上のキャンプ経験、などが定められる。

本大会前には選考会も催され、テーピングや三角巾を用いた実技、ツェルト設営や筆記試験も行われる。
試験問題の一例として仄聞(そくぶん)したところでは、「コース途上で食料が尽きた時にどうするか?」と問われるが、「道ばたの草を食べる」などと書こうものなら、「参加資格ナシ」と見なされる。
それでも人数を絞りきれなければ、抽選会でふるい落とされる者が出てくる。
鍛錬を積み上げても最後は運否天賦。それもまた、一つの人生か。