予祝とビッグウェーブの色紙と

矢野監督は普通ができず、ドラマしか起こせなかった。

キャンプイン前日の退任表明や予祝(22年の春季キャンプで行われた矢野監督の胴上げなど、数々の前祝い)は奇想天外だったが、あの“ビッグウェーブ”の色紙(4月15日、勝利監督インタビュー中に突然、公開した、友達の文字職人に書いてもらったもの)を掲げてから勝ち出したことは紛れもない事実だ。オカルトと言われようと、結果が出ればそれで良い。勝負は紙一重だから。

試合に負けたら、普通は相手チームや選手を表面上は称えるのが大人であり、“グッドルーザー”というものだが、矢野監督は試合後に「相手が良かったとは思わない」という趣旨のコメントをすることが多かった。「あれくらいの投手は打たないといけないよ」と、沈黙する打線にあえて発破をかけていたのかもしれない。

今季最終戦後のスピーチでは、矢野監督は「借金最大16」を「貯金最大16」と言い間違えていた。強がりから出た言葉だったのかもしれないし、もしかしたら、意識的に使った言葉だったのかもしれない。

「言霊」を大切にしてきた矢野監督だけに、その可能性もなくはないだろう。実際、言葉で選手を乗せられる監督だったと思う。

DeNAとのCSファーストステージ第3戦、今季ブレイクした湯浅京己投手に最後を託した場面がまさにそう。矢野監督自らマウンドに上がり、「ドラマつくるなあ。思い切り楽しんで。この場面、お前に賭けているから。どんな結果でもいいから、思い切って行ってくれ」と声を掛けたという。矢野阪神の集大成のようなシーンだった。

劇的勝利で2位・DeNAを打ち破り、史上最大の下克上ドラマの夢を抱いて神宮に乗り込んだものの、王者ヤクルトの前に儚くも散った矢野阪神。普通ができず、ドラマしか起こせなかった「俺たちの野球」。その夢と限界を見せてくれたシーズン、CSの戦いだった。

野球と人生は出会いと別れが続いていく。チームは先へと進んでいくが、矢野阪神の「俺たちの野球」の夢の続きをもっと見ていたかった。

文/お股ニキ  写真/共同通信社