「放っておいてほしい」胸の内も考えてみる

性的マイノリティの課題に取り組む際に、たまに「当事者の意見」として寄せられるのは、「余計なことをせずに放っておいてほしい」というものです。確かに、施策や取り組みなんていらないから「放っておいてよ」と感じる人は一定数いるのだと思いますが、そうではない理由で「放っておいてよ」と思っている人もいるのではないでしょうか。

そもそも、ジェンダーに関する差別やハラスメントを受けた場合に、「自分に責任があるから、自分でなんとかしなきゃ」と思ってしまう傾向は、過去にも見られました。

1992年に労働省が実施した「女子雇用管理とコミュニケーションギャップに関する調査」では、「性に関する不快な経験を少なくするための方策」、すなわちセクハラへの方策として、「女性」の最も多かった回答は、「女子自身が毅然と対応する」(44.2%)でした。逆に、今では法律で義務化されている「性的いやがらせがない会社を作ることを企業の方針のひとつとして決める」はたったの14.1%に過ぎませんでした。

ある意味、多くの女性たちが「自分で毅然と対応する」から、会社の方針にするなんてそんな大それたことはしなくていい、制度や施策のお世話にはならずに自分で解決します、と思っていたということではないでしょうか。

もっと言えば、制度や施策でこうした「ハラスメント」の問題が解決するとは思えない、ということだったのかもしれません。セクシュアルハラスメントに関する法律ができるまでは、ハラスメントに関わる法律は日本には一つもなく、法律で解決する事項だとは多くの人が思っていなかった、ということかもしれません。

翻って、性的マイノリティに関する状況はどうでしょうか。性的指向や性自認といった事柄を制度化!? そんな大それたことはしなくていい、制度や施策のお世話にならないで自分で解決します、という人も一定数いるように思います。もしくは、安易な「思いやり」で痛い目に遭うくらいなら、放っておいてほしい、そんな人もいるかもしれません。

しかし、これらはセクハラの法整備がなされる前とよく似た状況ではないでしょうか。

そもそも、性的マイノリティに関わる事柄については、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」、そしてハラスメントに関する法制度の中に一部が登場するくらいで、他には全くと言っていいほど制度化されていません。

だからこそ、性的指向や性自認といった領域に制度が入り込んでくることに対しての警戒感を呼んでいるように思います。そもそも、既存の制度から少なからず「いないもの」とされ、対象外となり、排除されてきた性的マイノリティにとって、今さら制度が自分たちの状況を改善してくれるとは思えない、という思いもあるのかもしれません。