アップル・コンピュータの始まり

「私は、危篤状態だったポールという人物を病院に訪ねた足で、ここ、オーストリアに来ました。こちらに着いてから、彼が亡くなった知らせを受けたのですが、ポールがもう苦しまないですむと思うと、安らかな気持ちにさえなっています。

ポールは、いささか風変わりな男の子を養子に迎えていましてね。20年ほど前でしたか、あれは私が、カリフォルニア州のロスアルトスに住んでいた頃のことですが、真夜中にその子が、私たち夫婦の自宅を訪ねて来たんです。裸足で長髪、髭はぼうぼう、ジーパンは穴だらけ。20歳くらいだったかな。

妻は、

『あなたの弟子はおかしな人ばかり!』

と、カンカンに怒って、家の中に入れようとしなかった。

けれども、私には彼の真剣味が伝わったので、夜中に2人して街まで出かけました。1軒だけ開いていたバーに入りカウンターに腰かけると、誰もが我々をじろじろ見てね。だって、とにかく彼の服装はひどかったんですよ。

『悟りを得た』

と、彼が言ったので、私は、

『証拠を見せてくれ』

すると彼は、困ったように口ごもって、

『まだ見せられない』

そんなことで、その夜はお開きになったのですが、1週間後、彼がまた裸足でやって来て、

『これが悟りの証拠だ!』

と、そうですね、横幅40センチ、縦幅20センチくらいの金属板を差し出したのです。私は最初、チョコが並んでいる大きな板チョコかと思ったのですが、パーソナル・コンピュータのチップって呼ぶんですか、あれは。今思えば、あの金属の板が、アップル・コンピュータの始まりだったんですね。

スティーブ・ジョブズに多大な影響を与えた知られざるひとりの日本人の証言_2
弘文が板チョコかと思った「アップルⅠ」の基板を携える、アップル社員番号4のビル・フェルナンデスさん Photo:©Bill Fernandez

でも、あれが悟りの証拠と言えるのかなぁ?」