自己中心性から脱却する

次に、自己中心性から脱却できます。幼い子どもは親の不断の援助がなければ片時も生きていくことができないので、親は懸命に子どもを育てます。しかし、子どもはやがて成長し、親の援助がなくても生きていけるようにならなければなりません。子育ての目標は子どもの自立です。 
それにもかかわらず、親から援助されることが当然だと思ってしまう子どもは、大人になっても自分が世界の中心にいると考えます。そのような人は自分のいうことがまわりの人に受け入れられるという経験をして大人になったので、概して独善的で、自分の考えることが正しいと思いがちです。 
学ぶことによって、このような自己中心性から脱し、世界には自分とは違う考え方をする人がいること、自分が世界の中心にいるわけではないことを知らなければなりません。 

自分で考えることは大切ですが、他の人の考えに振り回されないためには、まず人の話に耳を傾けなければなりません。自分の考え方だけが正しいと思ってしまうと、そのことの方がより大きな問題です。 

高校生の時に教わった先生が、ある日宗教心を身につけるのは非常に大事なことだという話をしたことがありました。宗教心は、幼い頃から神に祈ったり、仏壇の前で手を合わせるというような生活を送っていなければ身につかないというのです。 
ところが、そのようにして育った人が、友人たちから神など存在するものかというようなことをいわれます。そのようなことをいわれても、自分と考えを異にする人にきちんと反論することで、自分の信仰の正しさをいよいよ確信する人もいるでしょうが、反論できず、親から無批判に受け入れていた考え方が唯一絶対ではないことを知って、子どもの頃から育んできた宗教心を放棄するということもあります。 

いずれの場合も、自分とは考えの違う人と議論する前と後とでは、大きな違いがあります。信仰について、大人から無批判に受け入れるのではなく、自分で考え、自分でどうするかを決められるからです。信仰することを選んだ人は、相手の考えにたとえ賛成できなくても、少しでも理解できれば、自分と考えが違う人に寛容になることができます。 
信仰に限らず、「精神の習慣性を破る」ことになるかもしれない経験をしなければ独善的になってしまうので、自分とは違う考えを知ることは大切です。