大手レコード会社所属のプロ歌手からキャリアをスタート
――まずはパリなかやまさん(以下、パリさん)の原点から聞かせてください。なぜ流しをはじめたんですか?
成り行きですかね(笑)。学生の頃から音楽好きで、大学生だった二十歳の頃に「プロの世界で勝負してみたい」とデモテープ送付などを繰り返していたところ、2004年、28歳の頃にクラウンレコードから「コーヒーカラー」というユニットでメジャーデビューすることができたんです。
デビュー曲の『人生に乾杯を!』は結構ヒットして、全国をキャンペーンでまわりましたよ。その後、クラウンレコードではアルバムを2枚出しましたがプロの世界は厳しいもので、ヒットを出し続けなければ漫画家でいう「打ち切り」、つまり契約解除になってしまうわけです。
――打ち切り……なるほど……。
デビュー曲以降は大ヒットが出せなかったので「これは打ち切りもあるな」と薄々思っていました。プロのシンガーも契約が解除されれば「フリーター」になってしまう世界。ちょうどその頃に音楽家の先輩である作曲家から「流しをやらないか?」とお誘いがあったんです。2008年頃ですね。
そうやってクラウンレコード在籍中に会社に内緒ではじめたことが私の流し人生の原点です。その後は、流しが主軸になっていきました。
――メジャーの世界から流しの世界へ移籍したパリさんが、流しを実際にはじめてみてどんなことを感じましたか?
面白かったですよ。2009年に恵比寿横丁に移ってからは、流し稼業が“好景気”になりました。恵比寿横丁の注目度がどんどん上がり、週末は満員電車状態で歩く隙もないほど。その熱気とともに流しのニーズも高まり、私自身も楽しみながら仕事ができるようになりました。