ポピュラー音楽と女性ファン

特にこの点を強調しておきたいのは、ロックをはじめとするポピュラー音楽を論じる際にはしばしば、女性ファンの存在が軽視されてきたという事実があるからだ。しかもこのことはまた、昨年ほとんど国民的な憤激を引き起こした1990年代の小山田氏の発言の背景とも関わっている。

「露悪的」と言わざるをえない当時の発言の背景には、「アイドル的というか、軽くてポップな見られ方」(『週刊文春』2021年9月23日号)を変えたいという気持ちがあったのだという。

90年代を元フリッパーズの2人やその周辺のミュージシャンのファンとして過ごしたkobeni氏は、昨年公開された英国映画『ビルド・ア・ガール』のレビューの中でこの小山田氏の釈明コメントに言及し、それを読んで感じたという「モヤモヤ、イライラ」をいたって率直に表明している。

『ビルド・ア・ガール』は、90年代英国の才気に満ちた少女が音楽ライターとなり、男性ばかりの編集部でセクハラやパワハラに直面しつつも奮闘する様を痛快に描いた作品だ。kobeni氏は、同作が浮き彫りにするかつてのUKロックシーンの「ホモソーシャル・マッチョイズム」に通じる何かが、同時代日本のロックシーンにもあったかもしれないと振り返り、小山田氏さえも(活動全体を見るなら、むしろ女性ファンや女性同業者を尊重していたと言えるにもかかわらず)、そうした悪しき文化から完全に自由ではなかったことを悲しむ。

男性ミュージシャンに歓声を上げる女性ファンは、だからといって音楽を聴いていないわけではないし、自らの感動について大いに語るための言葉を持っていることも珍しくはない。「女のファン=わかっていない、なんて思わないで欲しい」、そのように厳しく願いながらも、kobeni氏はソロデビュー後の果敢なイメージ再構築の努力の中でなされた小山田氏の過失を、挑戦ゆえの失敗として受け止め、穏やかに反省と再起を促す。

kobeni氏に限らず、そして男性たちも含め、騒動のさなかでつながり合った小山田氏のファンはこうした懐の深さを共有しつつ、ひとまとまりの力となることで、確実に状況の変化を促すことができた。

一連の動きは、男性アーティストの女性ファンダム(ファン共同体)の復権という観点からして意義深いものであると同時に、メディア学者ヘンリー・ジェンキンスがファンダムの機能として論じた「集合的知性」(『コンヴァージェンス・カルチャー』晶文社、2021年)の、限定的であっても相当に見事な実現とみなすことができるだろう。

この「集合的知性」を通して何が確立されたのか。次回はその成果を概観する。


文/片岡大右 写真/shutterstock 

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