――日本だと20ミリシーベルトまではいいのですか?

日野 問題はそれもダブル・スタンダード(二重基準)で、法律で決まっていないということです。無法状態を作り出してしまったというのが、この事故処理の最大の被害だと思います。この事故の処理を通じて、「閣議決定で何でも押し通す」というやり方のうまみを知ってしまったのではないかと。

尾松 スリーマイルやチェルノブイリではどういうアジェンダ・セッティングがされて、被害者の側がどのくらい情報公開を受けながら参加できていたのかを見ると、やっぱり日本よりずっと民主的なプロセスで行われてきたと思います。決めるべきところは、政府や事業者のさじ加減に任せず、法でしっかり定義を決めて、「廃炉の完了とは何か」とか「処理水とは何か」とか、「原発事故、被災地とはどういう基準で設定されるのか」「被災地に住んでいる人はどういう権利があり、どういう支援や補償を受けられるのか」、そういったことを全部法律で決めていっているんです。

たとえば、スリーマイルも川の中洲にある島で汚染水は大きな問題になったんですが、周辺の地域の人たち、隣接するメリーランド州、海に隣接した地域の人たちは、スリーマイルから処理水を川に流そうとしたのを問題視しました。「それは国家環境政策法等」というロジックで彼らは闘っていき、いろいろ法律を盾に訴訟を起こしていきました。

そして事業者と規制委員会に、「川には流させない、流さない」という約束を取り付けました。ランカスター市という下流の地域と事業者、あと、規制委員会の三者で、協定を結んだんです。「スリーマイル事故で生じた汚染水はサスケハナ川には流しません」という協定を定めました。そのときに「処理水とは何か」という定義をしています。「処理水というのは、スリーマイル原発二号機のリアクター・ビルディング(原子炉建屋)に、何年何月何日時点で維持している水、及びその周辺の汚染された施設にたまっている水、及び1ミリリットル当たり何ベクレル超のトリチウム汚染のある水」と規定するんです。だから、この規定があるからこそ、何を流しちゃいけないかというのが解釈の余地なくできるわけです。

それに対して、フクシマの汚染水問題を見ていて非常に危ういなと思うのが、まず汚染水、処理水の法的定義というのが、されていない。「関係者の理解を得るまで処分しない」と約束していたと言いますが、そもそも「関係者」が誰なのかも決めてないし、「理解を得た」という状況は何をもって判断するのかも、文書で規定していない。だから「福島県知事と大熊と双葉の町長さんがオーケーです、これで理解が得られました」と言っても違法ではない。倫理的にどうかと思うけれど、違法じゃないんですよね。

巧妙なアジェンダ・セッティングで進められる原発行政をリセットする方法 【日野行介×尾松亮】_02
日野行介(ひの・こうすけ)1975年生まれ。ジャーナリスト・作家。元毎日新聞記者。社会部や特別報道部で福島第一原発事故の被災者政策、原発再稼働をめぐる安全規制や避難計画の実相を暴く調査報道等に従事

日野 日本の役所というのは「首長とか有識者会議のお墨つきをもらうなどして民主的な手続を踏んだかのように見せかける」、擬制することにものすごくエネルギーを使います。

印象に残っているのは、福島県知事と双葉、大熊の両町長が中間貯蔵施設の受け入れを正式発表したときです。それまで水面下で受け入れを前提に交渉していて、それを表に出しただけなのですが、そもそも受け入れを決める権限が首長たちにあるのか疑問です。

住民たちが所有している土地に中間貯蔵施設を建設するのに、首長たちが合意したからオーケーになるというのは理解できません。これは既成事実化することで諦めさせることが目的です。恐ろしい話だと思います。

しかも、例えば空港やダムだと、定められた区域内の土地をすべて取得しないと、基本的には建設を進められない。でも、中間貯蔵施設の場合はそれを進めています。土地を売らない人がいても、そこは飛ばして汚染土を運び込み、建設を進めていくわけです。汚染の激しい帰還困難区域で、住んではいけないから、他の公共工事では見られないような方法ができてしまう。とにかく早く汚染土を搬入して、仮置場のフレコンバッグを見えなくすることが目的なので、「最長30年間保管して、県外で最終処分する」という約束を果たすモチベーションがあるとは思えません。全てがフィクションです。

尾松 30年後のことなので、その頃には担当者は退職金をもらって既に引退している。そういう責任転嫁のメカニズムの中で決まっていってしまう。そもそも「誰が決めた」とも明らかにしない。廃炉でも同じことが言えます。「使用済み燃料の搬出先がないのであれば、そこで置いたまま廃炉完了という格好にさせてほしい」とか言い出すかもしれません。地元では「しっかりやります」とか言っておきながら、自分は異動になって、退職金をもらって、「あとは若い世代、よろしくね」ということでしょう。自分が担当の部署にいるときだけは追及されないようなるべく隠して、あとはもう後任者に任せて、出世すればいいという中で、こういうことになっちゃっている。だから、フィクションを作り続けていくのに“黒幕”のような存在はいないと思います。

日野 私も原発行政の真ん中は空洞だと思います。「廃炉作業は可能ですよ、最後は更地になりますよ」という幻想、フィクションを作ることが目的になっています。その幻想やフィクションが再稼働や原発復権を正当化する。廃炉の最終的イメージを示すと、ウソだとバレてしまうので、曖昧にしているのでしょう。「廃炉」という言葉だけをマジックワードとして、何となく都合のよい形で使っているということだと思います。