山田は小さな幸せに気づいていない人。僕自身、以前は気づいていない中で勝手に疲労していた。

松山ケンイチさんが田舎暮らしへ踏み切った運命的な出会い【『川っぺりムコリッタ』主演インタビュー】_7
ハイツ・ムコリッタの大家である南を演じる満島ひかりさん。夫亡き後、娘と二人暮らしをしている。

──山田は詐欺に加担し、服役した過去を持ちます。満島ひかりさんが演じる南さんは、どうやら元服役囚を出所後、受け入れている大家さんのようですし、山田が勤めることになるイカの塩辛工場の社長(緒方直人)も同様に、社会復帰を手助けしているようです。松山さんはこのような背景を調べて撮影に入られたのですか?

「いや、全然調べなかったですね。昔だったら、例えば20代の時や、李(相日)監督の『怒り』に出たときは、自分が演じる役の背景を徹底的に調べて、撮影前にもかなり計算を組み立てて入ったし、李さんもそういうことを求める監督でしたけど、荻上さんの場合は、荻上さんの世界の中にポンと入ればいいなと思いました。

結局、考えを積み重ねても、その考えに沿ったことしか画(え)に出来ないじゃないですか。たいていの人って、こうこうこうだから、自分はこう動いているという理論づけで生きていないですよね。山田もそうで、特に彼は、服役後、自分が生きたいのか、生きたくないのか気づいていない。彼は小さな幸せに気づいていない人なんです。でも、本当は掘り下げていくと、自分の中で生きたいという気持ちはある。そのことに、ハイツムコリッタに暮らす人々と関わる中で、自分の気づいていなかったことや、忘れていたものを思い出していく。

松山ケンイチさんが田舎暮らしへ踏み切った運命的な出会い【『川っぺりムコリッタ』主演インタビュー】_8

それって、実は僕にも思い当たるところがあって、以前は気づいていない中で勝手に疲弊していった部分があったりしました。特に俳優の仕事をしていると、自分の喋りたいことを喋りたいタイミングで言えることなんてほぼない。相手の台詞が来たら、そのタイミングで喋る。自分を殺して、自分のリズムも殺して、進めなくちゃいけないことが多くて、その結果、自分が今、何を欲しているのか、今、疲れているよ、ちょっと休みたいよ、自分はこういうことを喋りたいんだよっていうことに気づけなくなるんです。具合が悪くなってから、『あ、休みたかったんだな』と体が教えてくれるというか。だから、今回は考えることを出来る限りやらないようにしたんですよね。それが許される現場だったんです」

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そろってつつましやかな生活をしているハイツムコリッタの住民に何か異変が起き(?)、すき焼きを食べる日が! 劇中の美味しそうな献立は、荻上監督の作品には欠かせないフードスタイリストの飯島奈美さんが担当。

──なるほど。では、山田が何にもない部屋で最初は白米を炊くことから始め、少しづつ、料理の品数を増やしていく行程も、私自身は、かつて自分を捨てた母親に作って欲しかった献立を作っているのかなあと思いながら見ていたんですけど、それがうがった見方ですね。

「僕自身はそういうことは考えずに演じました。荻上さんの映画がいつもそうなんですけど、映画の中でシンプルに炊き立ての白米だけを食べる場面がありますけど、実際にめっちゃ美味いんですよ。だから、携帯電話を眺めながら無造作にご飯を食べているのと訳が違う。

給料が出る前で空腹を耐えている数日間という芝居場の時は実際、自分も食べずに挑んだんですけど、腹が減ってるから、めっちゃ美味いんですよね。だから、食事の場面の解釈というよりは、食事ということそのものについて考えさせられましたね。フードロスの問題とか。

あと、この映画は隣人の島田さんがうちの部屋に何かと理由をつけてやってきて、ふたりでご飯を食べるんですけど、ご飯を食べながら会話をしなきゃいけないから、どのタイミングでどのおかずを口に入れて、台詞を言うまでに何口で咀嚼しなくてはいけないのか、ちゃんと喋れるようにそこは計算しました。僕、食事の場面なのに、実は献立に手を付けていないのって嫌いだから、ちゃんと長回しの中、全部、食べ終わっているでしょ?」

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──確かに!見事な食べっぷりでした。私自身は、この物語は親の愛を知らず、人を信じることが出来ずに無味無臭で生きてきた山田がハイツムコリッタでひとつづつ味と匂いを獲得していく話だなと思いながら見ていたんですけど、松山さんは演じながらどのような味を感じましたか?

「大きく感じたのはやっぱり悲しさだったんですよ。なんか脆さというか、ひとつでもバランスが崩れたら、ふっといなくなってしまうんじゃないかっていう匂いをハイツムコリッタで暮らしている人たちからものすごく感じるんですよ。山田の部屋からも感じたし、特にムロさんが演じる島田が一番、その匂いをまとっていた気がします」

ムコリッタとは生きることと死ぬことの境界線がはっきり分かれていないんじゃないか。

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──ムコリッタというタイトルにもある仏教用語の時間の単位について聞きたいんですけど、私たちの十進法とか十二進法とか、色んな枠組みで一日とか、人生とか、将来とかを計りながら生きているんですけど、このムコリッタという時間感覚を松山さんはどういうふうに体になじませていったんでしょうか?

「なんとなくの感覚ですけど、ムコリッタとは生きることと死ぬことみたいな境界線がはっきり分かれて無いんじゃないですか。死ってどこか別な場所にあるような感覚に陥りがちですけど、本当は自分の中に死っていうのはあるわけじゃないですか。意識していないだけで。ガンになったり、交通事故にあったりして、それで初めて死というものが身近にやってくるみたいな感覚なんじゃないかなと思うんですけど。

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南さんの涼やかな風を感じる服装はスタイリストの堀越絹衣さんによるもの

僕は以前、『ノルウェーの森』のワタナベを演じたとき、彼が親友のキズキの死に際して”死は僕という存在の中に本来的にすでに含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ“と思い至る場面がずっと残っていて。ワタナベを演じた時、あの考えが自分自身の腑に落ちて、ずっと自分の中にあるんですよね。だから死と生は自分のここに一個としてある。そのバランスがどっちかに振りきれたとき、死に近づくのかなと。

荻上さんはこの映画の中で例えば日没、川っぺりの電話ボックスで山田が佇んでいる場面をこだわって撮っていましたけど、荻上さんはマジックアワーって言われる日没や日の出の何かが変わる瞬間をムコリッタととらえているのかもしれない。現場ではそういう話はしなかったけど、機会があったら聞いてみたいですね」