怖い/怖くない感覚の違い
――驚いたのが、最初の作品「音」から、超自然的な現象を書かれていることです。これは降田天の新しい展開かなと。
萩野 ずっと現実ベースの物語を書いてきたので、ちょっと不思議な感じをやってみたくて。やってみたら難しかったですね。
――事件の余波から逃げるようにして移り住んだ古いアパートの一室で、天井の隅がパテで補修されているのを見つける。それを剥がそうとすることと並行して怪現象が起きます。
萩野 自分が東京で住んでいた家が築三十年ぐらいだったんです。そういう家って、前の住人の痕跡が残っていることが時々あるんですよね。普通はそういう跡はきれいに直しますが、それが直されていない状態だったらちょっと面白いかなと思って。改めて、家って面白い題材だと思いますね。
――第二話の「水の香」の主人公は、事件現場で直接的な被害に遭いそうになった妊婦さんですね。
萩野 妊婦の話は我々ではわからない、想像が至らない部分があるのでプロット段階で担当の編集者に相談しました。彼女から妊婦だった時の経験や感情、生活の細かいことをうかがって書いたので、自分ではいい話になったんじゃないかなと思っています。
鮎川 物語に登場する妊婦がある感情を抱くのですが、それには重い理由が必要なんじゃないかと思っていたんですけど、編集者の方から話を聞いたら、「そう思うことってありますよ」って言ってくださって、ああ、そうなんだと。すごく助かりました。
――「水の香」は「音」に続いて怪現象が起きてホラー要素が強い作品ですね。読んでいてゾッとするシーンがありました。
鮎川 それはよかったです。私たち二人は、ホラーを怖いと感じないタイプなので、その怪現象が本当に怖いのか自信がなくて。
萩野 「怖い」という感覚は私たち二人の間でも違いましたね。例えば「水の香」で霊能者が霊を祓うために真言を唱えますが、私にとって真言は、それだけでなんとなく不思議で異世界感があるものだったのでーー
鮎川 それを聞いて、私は怖くないんじゃない? と答えましたね。私、香川出身なんですけど、四国八十八カ所のお寺には真言が書いてあるし、お参りに来た人やお遍路さんがそれを唱えていることも多い。そういう身近なものなので「これ、ホラーで使えるのか」と。真言イコール恐怖というのが不謹慎なのでは? という意味だけじゃなくて、日常的なものだから怖くないんじゃないかと思ったんです。
萩野 鮎川が言うとおり、真言を怖いものとして消費してしまっていいのかっていう悩みも確かにありました。でも、除霊をする女性はまっとうな人なので、それを怖いと思うかどうかは受け取り手によって違うのかなと。それで残そうという判断になりました。
――「腐った水のにおいがする」というのもなんとも怖かったですし、子どもが聞き取れない名前を言う時に、聞き取れない言葉を「■■■」って表現されていますね。怖いし嫌な感じです(笑)。
萩野 ふだんやらないことをやろうと思って。
鮎川 あまりに斬新だから、一応萩野には「ほんとにこれ、■■■でやるの?」って聞いちゃいました。
萩野 「やろう!」って即答しましたよ(笑)。せっかくやれる題材を選んだから、やろう、やろうって。
初めての探偵らしい探偵「野江響」
――次の「顔」は先ほど話に出た高校生の池渕亮が主人公。事件があった車両に乗り合わせたというテニス部のエースです。野江響という報道部員が探偵役として登場します。
萩野 今まで大人の話が続いていたので、高校生の話をやってみようかなと思って。嘘を暴く話なので、ちょっと攻撃的な物言いの女子高生の探偵をつくってみたんです。書いている時は話し方が強過ぎるかなと思ったんですけど、単行本にするために読み返したら、野江の熱さみたいな部分にホッとするところがありましたね。
鮎川 野江についても私たちの間で印象の相違がありました。野江が食事中の人に話しかけるシーンで、私が野江に「食事中にごめんなさい」って言わせたんです。そうしたら萩野が、いまどきの高校生は「食事中にごめんなさい」なんて言わないって。
萩野 丁寧にしゃべり過ぎなんじゃないかと。これだと非実在性女子高生になって、私はそれでいいけど、あなたはいいのって。
鮎川 この子、礼儀正しそうだし、これくらいのことは言うんじゃないかと思って書いたんですけどね。
萩野 それで、いろいろ話し合った結果、野江はやっぱり非実在性でいいことにしようって二人で決めました。現実に寄せるのはやめようと。いつもはもうちょっと現実に寄せることを考えるんですが、読者が違和感を感じないならいいことにしよう。実は野江のような探偵らしい探偵を書いたのは初めてなんです。だからこそ、この「顔」という作品が『本格王2021』(本格ミステリ作家クラブ選・編)に選んでいただけたのにはすごく驚きました。
鮎川 びっくりしましたね。
萩野 「本格推理」として認めてもらえたんだ、と。