元祖リアクション芸人からの転身

それと、私が生まれ育った東京・渋谷の実家にはいろんな人が出入りしていた。行商のおばさんが、野菜を担いで茨城から上京すると、オフクロやおばあちゃんと少し話して、近所で野菜を売り歩いて、家に戻ってきてまたしゃべる。

思えば〝民話の里〟と呼ばれる岩手県の遠野も、昔は交通の要衝で、定期市には各地から人とモノが集まってきたそうです。人が集まれば、ウワサ話も怪談も自然に集まってくる。うちもそういう場だったんだね。

稲川淳二「怪談ナイト」30年。“元祖リアクション芸人”はなぜ怪談をはじめたのか?_2

――なるほど。だから遠野は怪談の原点とも言われる『遠野物語』誕生の地になったわけですか。

そうです、そうです。昔は、冬になると、雪国ではお父さん、お母さんは出稼ぎに行ったり、町に働きにでたりした。家には子どもたちとおじいちゃん、おばあちゃんしかない。テレビはおろか暖房もない時代です。

囲炉裏端に集まって、子どもたちが「じいちゃん、怖い話して」ってねだる。何度も同じ話を聞いているんだけど、子どもたちは何度聞いても「おっかねえ」「おっかねえ」って飛び回る……。まさに怪談の原点。柳田国男先生の『遠野物語』の世界ですよ。

一度、柳田先生のふるさとの兵庫県福崎町にお呼ばれして話をさせてもらったんです。そこで、柳田先生は民俗学に専念するために、55歳で新聞社を辞めて、日本全国を旅したと教えてもらいました。実は、私がタレント業から足を洗って怪談に専念したのもちょうど20年前。55歳のときだったんです。

――稲川さんと言えば「元祖リアクション芸人」と呼ばれるほど人気のテレビタレントでした。怪談に専念するきっかけがあったんですか?

リアクション芸人の元祖とかってよく言われるけど、私はもともとテレビのワイドショーやニュースのレポーターの仕事が多かった。それで、事件現場にもよく取材に行きました。あの頃はテレビの本当にいい時代で楽しかった。

当時から怪談はよく話していましたが、商売になるとは思っていなくて趣味みたいなものと割り切っていた。単なるシャレ、というかな。そんなとき、日本ではじめて怪談のカセットテープを発売するという話が出た。これが、なんと32万本も売れたんですよ。

――32万本!?

スゴいでしょう。でも、オチがある。仲良くしていた3人のテレビやラジオのディレクターが「稲川さん、カセット買ったから」と知らせてくれた。よく聞くと3人とも買ったのが海賊版(苦笑)。みんなで大笑いでした。海賊版を笑える、おおらかな時代だったんですね。