これまでの人生で失敗したことなんか、数え切れないほどある。いい思い出は記憶の彼方。怒られたり、大失敗したりしたときのことばかりが、いまでも脳裡に焼きついている。私自身はどうやらそういう性格のようだ。
なかでも忘れえぬ記憶のひとつが、酒による失敗談だ。中国の天安門広場で泥酔して警察に包囲され、その次の日に関係者から、しこたま怒られた。そのときに天安門広場に横たわりながらみた夜空は本当にキレイだった。
私は中国古代史の研究者なので、帰国後にさっそく中国古代史の歴史書をひもといてみたところ、じつは2000年以上前から酒で失敗した人は結構いることがわかった。老若男女、下っ端の者から英雄にいたるまで、けっこうやらかしている。春秋時代にはすでに一気飲みの文化もあったし、泥酔して戦場に遅刻した者もいる。なんだかうれしかった。「2000年たっても、人は変わらぬものだ」と思ったし、酒の失敗ひとつで自己を全否定する必要もないのだ(反省はあってもよい)。ちょっと気が楽になった。
そうした失敗談が世界史上に溢れていることを教えてくれるのが、この本だ。
ほんとかなぁとニヤつきながら読むのがコツだ。「○○よ、おまえもか」とつぶやきながら知る歴史だってあってよい。
もっとも、お酒のたしなみ方についていえば、年齢とともに変化してゆくものだ。私の場合、あいかわらずお酒は好きなものの、アルコール度数が50度以上の「白酒」(中国の学会だと必ず振る舞われる)を浴びるように一気飲みするのはもう勘弁。良質な酒を片手に、おいしい肴をつまむくらいが丁度いい。そんなときは、中国古代史のなかから「酒の肴」を捜してみてはいかが。具体的なレシピが知りたければ、青木正児さんの本がおすすめだが、絶版本ばかりで、なかなか手に入らない。そこで身近なものとなると、つぎの本が最適だ。
中国料理にも歴史はある。古代にはトウガラシがなく、油ものだってほとんどない。それでは一体当時の人びとは何をツマミにしてお酒を飲んでいたのだろう。そういったことに思いを馳せながら、ゆっくりと楽しい時を過ごしてみるのもよいものだ。いまもむかしも、人びとは戦争と隣り合わせの日常を送りながら、酒と肴を手に、毎日を精一杯生きている。戦争はもう結構だが、お酒の文化は今後もしっかり受け継いでゆきたいものだ。