大森監督は俳優が演じ始める前に撮る
――大森監督の作品をご覧になって感じていた俳優さんたちの生々しい演技というのは、実際に大森監督の演出を受けて、どう生まれているのかわかりましたか?
たとえば、「怒っているとか、怯えている表現はこうだ」って現場に持ってきた場合は、徹底的に「違う」と言われます。思い込みは、すごく排除する。そして、俳優が確信するちょっと前の、怒っているのか、楽しんでるのか、悲しんでるのかとか、登場人物も演じる側もわかっていない、もやっとしたものを掬い取ろうとしているのは、すごく感じましたね。俳優が演技をしたり確信を持ったりする前に「もう、本番に行こう」っていうことはよくありました。
――言葉にできない感情や揺らぎも含めて、撮るということですね。
そうですね。初日に、みんなで強盗をした後、車に乗っているときのそれぞれの寄りの表情を撮ったんです。斎藤工くんがそのとき監督から、「なんにも考えずに、ただぼんやりと前を見ててくれ」と言われたのが印象的だったと言っていましたけど、僕もそうでした。
それぞれが強盗を終えて、「やった」という達成感を持って演技をしようと思っているときに、「全然、違う。ただ、ぼんやり前を見てて」と。達成感なのか、ここから何かが始まる予感なのか、ただ単に疲れ果てて呆けているのかわからない、そこを撮るという演出ですね。
もっとキャラクターをわかりやすく撮る道もあったと思います。たとえば、工くんの役が、楽しくひたすら暴力を振るう人物だったらわかりやすいけど、実際はもっと人間的で、極限では、怯えて普通の人間に戻ったりもする。
玉城(ティナ)さんと宮沢(氷魚)さんが演じた若いふたりも、役と演じる人が混ざっているような感じが面白くて。今回の現場は、大森監督が、自分が確信を持つ前の演技を求めているということを、敏感に理解できる人たちが集まっていたと思います。みんながそれを楽しんでいましたね。