“短パン”街穿きカルチャーが浸透したのは1990年代から
今の若い人は意外に思うかもしれないが、1969年生まれの僕がおしゃれに目覚めた頃、つまり1980年代後半の若者の間で、短パンの存在感は今よりずっと小さかった。
『ポパイ』や『メンズノンノ』、『ホットドッグ・プレス』といった当時の若者向けファッション誌では、夏になると短パンを使ったコーディネートが紹介されたりはしていたが、それはあくまでもリゾートスタイル。
“海に行くときは短パン!”というような、特別なシチュエーションでのスタイル提案であり、現在のような日常のタウンウェアとして市民権を得ていたわけではなかったように思う。
僕の好きなパンクやモッズ、スキンズ、マッドチェスターといったロック系スタイルのワードローブにも、短パンは含まれていなかった。
だから僕は学生の頃も就職してからも、夏でも必ずロングパンツを穿き、それが大人というものだと信じていた。
しかしストリートファッションの年代記的に言えば、その頃からすでにアメリカでは、ハーフパンツを街で穿くユースカルチャーが発生していた。
1980年代初めに発生したアメリカンハードコア、それに1980年代中頃から急拡大したスケーターやヒップホップ系の若者はスポーティな服を好む傾向が強く、街着として短パンを選択するようになっていたのだ。
ある種それは、“大人の男はロングパンツ”という、既存社会の決めつけに対するレジスタンスの意味もあったのだと思う。
そうしたサブカルチャーはリアルタイムで日本にも届いていたので、今でいうインフルエンサー系の感度高めな人の中には、短パンを日常的に穿く人もいた。
具体的に言えば、高校生の僕が愛読していた当時の『宝島』には、まだ20代だった藤原ヒロシや高木完がよく出ていたが、アディダスのハーフパンツにロングソックス&スニーカー、カンゴールのハットというような出立ちで、かなり目立っていた。
今考えると、それは当時の先端をいくおしゃれスタイルだったのだが、僕はそこまで感性が鋭くなかったので、「げ、大人が半ズボン穿いてる。ドリフか」と思い、とてもじゃないが自分で真似しようなどとは思わなかった。
当時の一般的な若者は、まだそんな感覚だったのだ。
そんな僕でも90年代中頃になると、夏は短パンで街を歩くようになった。
80年代にはトンガリすぎていて日本では取り入れにくかったヒップホップやスケーター、それにアメリカンハードコア(から発展したメロコア)などのカルチャーとファッションがついに大衆の心をとらえ、メジャー化していたのだ。
今ではそんなカルチャーの下地など意識することなく、広い層が普通に街着として短パンを穿いているが、その発端はこうした90年代カルチャーなのではないかと思う。
当時の僕は20代半ば。若者ではあったものの、もうすっかり大人である。
つまり僕ら世代は、大人になってから恐る恐る短パンのタウンユースに手を出した、“やや乗り遅れ”世代なのだ。
だから今も、少しでも改まった場では短パンを穿けないのではないかと思う。