「コの字酒場」で会いましょう
コの字酒場を知っていますか?
カタカナのコの字型カウンターを構えた酒場が「コの字酒場」である。広辞苑にも出ていない。私が考えて吹聴してきただけの言葉なので、当たり前である。辞書に出ていないくらいだから、その良さを伝えるのは難しい。
コの字酒場に魅入られたのは三十年以上前だが、十年ほど前から意識的に酒好きの編集者をつれてコの字酒場を案内してきた。すると、いやはやseeing is believing、編集者の方々の胸に、この特別な酒場はずどーんと突き刺さり、おかげでコの字酒場に関する本を何冊か上梓することができた。コの字酒場に同行した編集者が飲兵衛で酔狂だった事実は看過できないが、やはり、これはコの字酒場の魅力がなしえたことだと思っている。
めぐりめぐって、漫画まで生み出す機会にめぐまれた。原作は私で、作画はグルメ漫画の巨匠・土山しげるさん。ウェブで連載され、雑誌にも単発掲載されたその漫画は、『今夜はコの字で』という。こんど、その漫画全エピソードと私のエッセイを一つにした「完全版」が文庫になった。ありがたくて、その話を聞いて、すぐ呑んでしまった。
絵は自分で描いてないので自画自賛と言っていいのかわからないが、これが、読むほどにコの字酒場に行きたくなる。それというのも、私が案内したコの字酒場で、土山さんが実際に呑み食いして気に入ったものだけが漫画には登場しているからなのだろう。ちなみに、漫画にはコの字酒場ビギナーでひ弱な青年・吉岡と、彼の大学時代の先輩でグラマラスな恵子がコの字酒場の指南役として登場する。連載中、取材現場で、吉岡にあたるコの字酒場初心者だった土山さんは、巨漢で屈強な六十代男性。恵子役の案内人の私は豊満でなく肥満の五十路のおじさんである。発表後、この漫画はドラマ化され、中村ゆりさんと浅香航大さんという美しくてお芝居が素晴らしい俳優さんが演じてくれている。お二人には申し訳ないが、私は勝手に恵子、中村さん、自分の三人を重ねて、時々なんだか照れたりする。
さて、土山さんとの初コの字酒場の場でも、その良さについて熱弁をふるってしまったのだが、フツーの酒場とは、ちと違うのである。
まず、孤独になり過ぎない。コの字の形に客が座るから、どこの席についても誰かの顔が見える。一人で呑んでも寂しさの塩梅がいい。しかも真ん中には店主らがいて、どこを見ても人越しの視線になり、凝視とか熟視だとかにはならない。あっさりした視線の交錯。これが都合がいい。
上座や下座のない平等な空間なのもいい。今の世の中にいちばん足りないものがある。
店の人がコの字の内側にいるから、変な客がいれば店主の目にとまるから安心。注文もしやすい。衆人環視のなか料理も手を抜かず、いきおい、旨い店が多くなる。車座に近い状態だからか不思議と一体感が生じる。いわば、そこは舞台である。演者たる店主の周りに客がいて一夜の舞台を楽しむ。それがコの字酒場である。無論コの字以外にも良き酒場は数多ある。しかし、コの字酒場には、その凝縮した空間だけにある、独特のあたたかみがある。そして、コの字型のユニークなカタチをしたカウンターを“皆で囲む”からこそ、そうした、あたたかみが生まれやすいのだと思う。
この二年、酒場には過酷で残酷な日々が続いている。休業、転業、廃業。コの字酒場なんて、ふれあうことが肴の一つだから苦境は殊更だ。
長い酒類提供禁止が明けたとき、私はあるコの字酒場に駆けつけた。その夜の、あの一杯の味を私は生涯忘れないだろう。もちろん、コの字の対岸の常連さんと杯を軽く持ち上げて無言でかわした乾杯のことも、それを黙って見ていた親方のことも。そして、この一杯の報告をしたかった人がもう一人いた。土山さんだ。
だが土山さんは、この漫画を終えて、土山さんの行きつけで「続編はどうしましょう」なんて話をしつつ呑んでから、間も無くして旅立ってしまった。もしかしたら、この先も続いていた『今夜はコの字で』はぷっつりと終わってしまった。だから、今回の本は完全版ながら、ある意味で不完全版ともいえる。
「コの字って一箇所が切れてますよね。ちょっと完璧じゃない形なのもいいんです」
いつか、そんなことを土山さんに言ったら、一瞬おやっ、という顔を見せてから
「いいこと言いますねえ」
と言ってから、土山さんの口グセ
「そうなんですよお」
と相槌をうってくれた。そんな土山さんだから、完全でありながら不完全な今回の本を、きっと喜んでくれると思う。
不合理、不条理、不平等ばかり目につく世の中だから、ただ生きてるだけでも皆ヘロヘロである。だから、どうか、みなさん休んでください。そして、羽を休めるなら、コの字酒場もいいですよ。そして偶さか、お会いできたら乾杯いたしましょう。
記念寄稿「コの字酒場」で会いましょう/加藤ジャンプ
オリジナルサイトで読む