広告が提示する幸せの押し売りに要注意

「私たちは、常に経験と期待を比べながら生きています。けれども、『自分の経験からすると、期待をかなえるのは自分には無理』と感じ、むしろ不幸な気持ちになってしまうのです」

経験より期待が高すぎるということか。だとすれば逆に、「これなら自分でもかなえられそう」と感じられるぐらいの期待をかなえようとすれば、幸せになれるかもしれないのでは?

だが、現代社会がそれをさせてくれない。

典型例として、ハンセン氏は広告の存在を挙げ、「広告はすべてプレッシャーになります」という。

「たとえばビーチで友だちと遊びながらドリンクを飲んでいる光景が広告では描かれます。こうした表現のすべてが、広告を見た人たちにはプレッシャーになるのです」

どの広告も、この商品で幸せを得られると期待を抱かせ、「幸せは自分で選ぶものだ」と迫ってくる。「たまには最悪な気分でもいいんだよ」と諭してくれるような広告はない。

私たちは、理想的な幸せのイメージで期待を提示する広告を大量に浴びながら日々過ごしているわけだ。では、広告が訴えてくる数々の理想的な幸せを、私たちはどれだけ実現できるだろうか。美しい南国で夕焼けをバックに仲よさそうな人々が過ごしているようなひと時を、自分もかなえられるだろうか。多くの人が多くの広告に対し、「自分の経験と比べたら、この期待に添うのは無理」となるのが自然だろう。

「人間の進化という意味では、これらのプレッシャーは非現実的といえます。人間にとっての本来のプレッシャーとは、新しいことをするための動機づけの感情です。失敗が明らかなら、その動機は消えてしまいます」

情報を浴びれば浴びるほど、自分はそこに示された幸せをかなえられそうにないと感じるようになる。フェイスブックでみんなからこんなに幸せですという情報を大量に浴びせかけられると、人は自分は孤独な人間だと感じてしまうということを、ハンセン氏は『スマホ脳』でも指摘していた。