67年の歴史を誇る土浦の文化の発信地

三浦春馬さん出演作を上映し続けるファンの聖地「土浦セントラルシネマズ」_6
通路にはかつて上映した作品の巨大な立て看板が

もはや三浦春馬専門館となっている同映画館。だが館内通路を歩くと、『この世界の片隅に』の巨大ポスターをはじめ、『メン・イン・ブラック』(1997)や『ハリー・ポッター』シリーズといった大作映画の貴重な立て看板が飾られている。

開館は1955年という(前身は祇園会館)、67年の歴史を持つ老舗映画館。1963年から父親の龍太郎氏が経営し、支配人を叔父が務め、東宝と日本ヘラルド映画の作品を封切りと同じタイミングで上映する一番館だった。しかし叔父が看板の取り付け作業中に転落事故を起こし、重傷を負ってしまう。叔父夫妻に跡継ぎがいなかったことから白羽の矢が立ったのが、当時、サラリーマンをしていた寺内館長。25歳だった1980年に副支配人兼映写技師見習いとして映画館経営に携わることとなったという。

「子供時代はよく映写室に忍び込んでフィルムで遊んだりして、まさに『ニュー・シネマ・パラダイス』の世界。でも親父に“お前が経営をやれ”と言われたとき、映画は斜陽産業だったからイヤでね。渋々引き受けました」(寺内館長)

しかし、東宝は三浦友和・山口百恵のゴールデンコンビによる“モモトモ・シリーズ”の成功によりアイドル路線に切り替え、たのきんトリオの『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(1981)が大ヒット。洋画も話題作が多数登場し、興行成績のよかった同映画館は、洋画各社から作品の上映を依頼されるようになったという。その映画産業の隆盛にノった東宝の重役から「これからは複数スクリーン館の時代」と言われ、1982年に2スクリーンに。さらに1987年に2スクリーンにした。シネコンの先駆者だ。

「『ドラえもん のび太の恐竜』(1980)のときはすごかったね。その日は『地獄の黙示録』の公開と重なって、朝1回上映のスケジュールを組んでいたんです。そうしたら問い合わせが殺到して3回線しかない電話は鳴りっぱなし。朝の上映後も、千葉県佐原市(現・香取市)から孫とタクシーで来たおばあちゃんをはじめ、どんどん人が来てしまって。押さえていた近くの市民会館で急遽上映をやることに。チケットをさばくのが間に合わなくて、足元に置いた段ボールにお札を放り込んで足で押さえながら対応していましたよ」(寺内館長)

今に続く超ロングラン上映という独自プログラムの遍歴は、昔からあったようだ。『ボディガード』(1992)は約半年間。『タイタニック』(1997)は1年2ヶ月にわたって上映したという。

「『タイタニック』は多い人で18回見に来てくれたかな。あの頃は、本当にいい時代でした」(寺内館長)