歴史の積み重ねの上に
今の自分がいる
村松 今日お話しして、和田さんが本当に仏像をお好きなのが改めてわかりました。でも大学では、西洋美術を専門に選ばれたんですね。
和田 そうなんです。私が最初に好きになったのはマネの絵なんですが、近代と前近代の狭間に生きたマネの実像や作品が、いくら勉強してもしっかりつかみきれなくて、そのまま今も追い続けているんです。
村松 和田さんも、好きになったものはどこまでも追いかけていくタイプですね。「西洋美術は専門、仏像は趣味」といつかおっしゃっていましたが、専門と趣味の違いって、どうとらえていますか?
和田 自分が専門に選んだことに対しては、文献も読み込んでその歴史的、文化的な背景も調べますが、趣味は「これが好き」ということだけで、その背後にあるものまでは調べていない、ということですかね。だから、仏像は大好きだけれど、あくまで趣味なので、自分が知らないことは軽々しく語ってはいけないと自覚しています。
村松 いやいや、和田さんは仏像に関してももうずいぶん知識をおもちですよ。専門とか趣味とかの区分けを越えて、西洋美術と仏像、両方を堪能していらっしゃるのではないですか。
和田 はい、それはありますね。共通して面白いところは、世界を知れる、歴史を知れるということなのかなと思っています。西洋絵画を見ていても仏像を見ていても、歴史を感じます。普段は「自分が生きている今」ばかりを意識していますが、昔の人が残してくれた絵画や仏像を見ると、自分は人類の歴史の延長線上に今ここにいる、と認識できるんです。さらに言えば、では自分はこれからどうやって生きていくべきか、みたいなことも考えられる。その時間や感覚が私は好きですし、絵画や仏像を含めた芸術作品と相対する醍醐味なのかな、と思います。
村松 目の前にある形、表現だけじゃなくて、その背景にあるいろいろなものを酌み取っていくということですよね。まさしくそれが、美術、芸術作品鑑賞の醍醐味だと、私も思います。やっぱり和田さんは西洋美術を専門にしているだけあって、すべてに模範的な回答をなさいますね。
和田 えっ、模範回答ですか? うれしいけれど、ちょっとつまらないかも。もっと自分なりの個性が出る回答がしたかったんですが。
村松 仏像に熱中してガラスにぶつかる和田さんは、充分個性的です(笑)。ところで仏像をごく間近で見るとき、仏像からも見られていると感じることはありませんか?
和田 あります! というか、村松先生とテレビ番組の取材で京都の即成院にお邪魔したとき、仏像のお面をつけさせていただく機会がありましたよね。あのとき、仏像側からの目線を疑似体験できて、仏像の前に立つ自分を初めて意識したんです。それまで仏像は私が見る対象物だったのですが、あのとき確かに、仏像からも見られているんだ、と感じました。それも心の底まで。
村松 私もそう思っているんです。自分が生きてきたのはたかだか五十数年ですが、仏像は千年、千何百年という歳月にわたって存在し続けている。その前に立つと、ちっぽけな自分のすべてを見透かされてしまう気がします。
和田 わかります。私もお面をつけた瞬間、仏像の前に立っている自分を外側から眺めた気がして、背筋が伸びました。
村松 仏像を研究している私はなおさらです。長い年月、さまざまな願いや思いを込めて目の前にやってきた何万、何十万の人と向き合ってきた仏像から、常に自分の生き方を問われている気がします。
和田 そうですよね。今度日本に帰ったら、仏像の見方、接し方がまた少し変わるかもしれないです。
村松 帰国したら真っ先に見たい仏像はありますか?
和田 仏像もいろいろ見たいですが、先生の本を読んで、お金が埋められていた法隆寺の伏蔵を見たくなっています。法隆寺は何度も行っているのに、今まで知らないで見過ごしていたので。
村松 熱心に読んでいただいてうれしいです。木造のお寺が怖いのは火事による建物や仏像の焼失なので、かつては地面を掘って再建のためのお金を隠しておいた。それが伏蔵で各地のお寺にあったらしいんですが、法隆寺さんぐらいしか見つかっていないんです。
和田 そういうガイドブックには書いていないようなお話が先生の本にはたくさん出てくるので、その個所に線を引きながら読んで、今度訪ねたいと思っています。村松先生の授業も、一般向けのものがあったら出席したいです。先生はテレビ番組のロケ中、カメラが回っていなくてもずっとダジャレを交えながら解説してくださいましたよね。それが面白くてためになったので、大学の授業もきっとそうだろうなと思って。
村松 ぜひ、いらしてください。でも教室中の目が和田さんに向いて、授業にならないかも(笑)。今日はずいぶん和田さんに本のPRをしていただきました。ありがとうございます。フランスでの勉強の成果、期待しています。
和田 こちらこそ、ありがとうございました。楽しい時間でした。