もともと銀行の支店や社員寮を管理する会社だった
右肩上がりで凹凸もない、綺麗な成長曲線を描いており、利益額でも三井不動産、三菱地所、住友不動産の「ビッグ3」に次ぐ存在となっている。
つまり、いまや日本を代表する不動産デベロッパーに肩を並べる存在となった。そんなヒューリックだが、日本橋や丸の内といった旧財閥から受け継いだ不動産基盤を持つ三井や三菱とは異なり、もともとはみずほ銀行の源流の一つである旧富士銀行の不動産管理会社「日本橋興業」として1957年に設立された経緯がある。
みずほ銀行系の不動産会社としては、安田財閥の流れをくむ東京建物や旧日本興業銀行の系統である日鉄興和不動産、旧日本勧業銀行の系譜に連なる中央日本土地建物グループといった総合デベロッパーがある。
日本橋興業はこうした企業とは異なり、銀行の店舗や社員寮などの不動産を管理する、地味な立ち位置の会社だった。銀行としても、本体で出世できなかった高齢社員の雇用の受け皿としてこのようなグループ会社を保有しているものの、必ずしも利益を出すことや、事業を拡大するは求められていなかったという。
こうした状況を一変させたのが、06年に社長に就任した西浦三郎氏だ。
きらびやかな施設とは無縁の「小規模で質実剛健」
みずほ銀行の副頭取だった西浦氏が日本橋興業に転じたのは57歳のとき。年齢的に「天下り先」としてのポジションを用意されたはずだが、三行の統合に苦戦したみずほ銀行時代の鬱憤を晴らすかのように、経営者として辣腕を振るうようになる。
駅前など好立地に位置しながらも利益を生むわけではなかった銀行の支店を次々とオフィスビルに建替え、高収益物件として生まれ変わらせたのだ。
オフィスビルといえば、丸の内や日本橋の高層ビル群は言うに及ばず、渋谷ヒカリエや六本木ヒルズといった、飲食店などの商業施設とオフィスが同居した大型複合ビルが近年のトレンドだが、ヒューリックの手掛けるビルはこうしたきらびやかな施設とは無縁の、小規模で質実剛健なものが多い。入居する企業は大半が中小企業であり、坪当たりの収益最大化を目指した結果だという。
建てたビルを保有、賃貸する一方、REITなどに売却し、そこで得た資金で好立地のエリアの土地や老朽化したビルを購入し再開発する。賃貸による安定収益と、開発・売却による利益を組み合わせたビジネスを展開する中で、社員もゼネコンやデベロッパーから中途採用し、専門性の高い人材を確保してきた。













