沖縄で有名な「廃ホテル」の歴史と重ねる声も…
先行きに不透明感が漂うなか、県内では「あのホテルみたいにならなければいいが」として、県中部・中城村にあった廃墟がたどった歴史と重ねる声もあがっている。
「世界遺産となっている中城城跡に隣接していた廃墟『中城高原ホテル』のことです。1970年代に建設されたものの、40年以上も放置され、2020年に解体されるまで長らく廃墟になっていた施設です」(地元関係者)
地元紙の沖縄タイムスなどによると、ホテルは、戦後の沖縄初の映画館「アーニー・パイル国際劇場」を開業したことなどで知られる、米軍統治下の沖縄で活躍した実業家・高良一氏が開発を手掛けた。
1972年の沖縄の日本復帰を記念して75年に開催された沖縄国際海洋博覧会での観光客需要を見込んで建設が始まった。しかし、本格的な開業を前に開発は頓挫。ホテルへのアクセス道路が、県管理になるなど問題が浮上したこともあり、短期間営業したとも伝えられるが、その後長く放置され、廃墟化してしまったという。
「ホテルの敷地内には、当時としては珍しいウォータースライダーが設けられ、迷路のような構造になっていました。独特の景観が、名作アニメ『天空の城ラピュタ』を彷彿とさせるとして映画のロケ地になるなど、隠れた観光スポットになっていました」(同)
このホテルに限らず、当時の沖縄では、海洋博の特需を当て込んだホテル建設が相次いだ。ところが、経済活性化の起爆剤となることを期待された海洋博は、来場者が想定の約7割にとどまるなど期待外れの結果に。開催翌年の76年には、沖縄への観光客数が大きく落ち込み、「海洋博ショック」と呼ばれる不況に陥ったこともあり、件の廃墟は当時の状況を象徴する「負の遺産」として人々の記憶に残った。
「失敗に終わった海洋博も、ジャングリアと同じ『やんばる』と呼ばれる県北部が会場となった。同じ失敗を繰り返さなければいいですが」(前出の地元関係者)
地元で広がる懸念を杞憂に終わらせるために打てる起死回生の一手はあるのか。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班













