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「一発屋」だけにはなりたくない

――デビュー25周年、おめでとうございます。1/4世紀という時間をどう感じていますか?

川畑要(以下、川畑) 長かったような、振り返ればあっという間だったような気もします。本当に濃い25年でしたね。25年前に、現在の自分なんて1ミリも想像してなかったですし。自分たちがやってきた時間を思うと、不思議ですね。

堂珍嘉邦(以下、堂珍) うん。早かったような、長かったような。そんな感じですね。見た目も個性も違うふたりが一緒になったときの面白さということで、CHEMISTRYは始まって。

デビュー当時は22歳くらい。当時は、最初だけが華々しい……言葉がふさわしいかはわかりませんが「一発屋」だけにはなりたくないという思いはありました。

川畑 それは、ふたりでめちゃくちゃ話していましたね。

「本当に濃い25年でした」と振り返るCHEMISTRYの川畑要(撮影/廣瀬靖士)
「本当に濃い25年でした」と振り返るCHEMISTRYの川畑要(撮影/廣瀬靖士)
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―― 一気にスターダムへと駆け上がったふたりが、「一発屋になるかもしれない」と心配していたとは驚きです。

川畑 『PIECES OF A DREAM』だって、なかなか1位は取れなかったですからね。

堂珍 そうそう。発売6週目で、やっと1位だったよね。

川畑 シングル2枚目まではまだ恐怖。やっぱりテレビは怖いですからね。「今は流行りで聴いてくれているだけ」という気持ちはありました。まだ危ない、まだ危ない、みたいな(笑)。1stアルバムで300万枚を超えたときに「これはもう違うだろう」とやっと思えた。

堂珍 僕らはライブ経験がない中でスタートしましたから。未来の想像がつかない中でも、一発屋だけはありえない。「伸びしろの途中」で終わってしまうケースもたくさんあると思うんです。

じゃあ、何を信じていくのか? やっぱり、相方。ふたりだから乗り越えられたし、成長できたんだと思っています。

最初の頃は、それぞれ自分のことで精一杯だったしね。僕に関して言うと、今以上にコミュ力がなかったから(笑)。質問されても、どう返していいかわからない。言葉が出ない。

川畑 デビュー後は、歌うことだけじゃなく、取材やラジオなどで話すことの難しさも感じましたね。(『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で)浜田(雅功)さんにどつかれるのは僕でしたし(笑)。

堂珍 あははは。まだ子どもで未熟でした。だから人に迷惑もかけたし、調子に乗っていたときもあっただろうし、そんなことを繰り返しながら。でも自分たちのことを延命させられるのは歌うことしかないわけで。表現に関してもいろんなことを試したり、経験しながら続けられたことは、誇っていいのかなと思います。