“猛牛”は先輩のいじりから生まれた
──天山選手が入門した1990年代初頭は、年代的には平成ですが、昭和のやり方がかなり色濃く残っていたのではないかと思います。
残っていましたね。上下関係はとりわけ厳しかったのではないかと思います。たとえば何か先輩が言ったことができていないと、「じゃあ今ここでスクワット1000回して」とかは当たり前でしたから。よく考えると「なんでスクワット?」と思うんですが、先輩がおっしゃったことは絶対です。
──試合や練習以外でも、先輩が言ったことは守らないといけないのでしょうか。
当然、そうなりますね。まだ私が若手のとき、「これからはプロレスラーもメディアに出て顔を売らないといけない」ということで、テレビ出演をしました。連れて行ってもらったのは先輩の橋本真也さんです。
番組のなかで、プロレスラーの身体の強さを見せるコーナーがありました。そこで「瓦割り」をやってみろということになったんです。正直、やったことがないわけですよ。でも一生懸命、ガーンと殴りました。収録が終わると、みるみるうちに手が腫れてきました。病院でレントゲンを撮ると、折れていたんですね。
さすがに手が折れていては試合もできないので、そこから骨がくっつくまでは付き人業だけをやりました。これに長州力さんが「若手に何やらせてんだ」って怒ってしまって(笑)。
── 一般社会だと、労災認定を受けそうですが……。
たしかに。でも、あれで労災を申請するプロレスラーはいませんよ(笑)。とにかくそういう時代でしたよね。
──身体へのしごきだけでなく、先輩の言葉に傷つくこともありましたか。
それは普通にありますよね。ただ、それがどう転ぶかわからないのも、この世界の妙なんですよね。私なんて先輩から「お前は牛に似てるから“牛山”とかに改名したら」とか言われて、内心「なんだそれ」とか思っていたんですが、“猛牛”がイメージとして定着して、世間の皆様に認識していただいているわけですから。













