病弱だった少年時代と、一度逃げても諦めなかったプロレスへの道
──現在の姿から想像できないのですが、幼少期は病気がちな少年だったと伺いました。
天山広吉(以下同) 事実です。母から聞いた話では、逆子だったらしく、へその緒も絡みついていたらしいんです。それが影響するのかわからないのですが、とにかく身体が弱くて、小学校3年生くらいまでは医師から処方された薬を朝・昼・晩と、毎日飲んでいました。
実際、すぐに風邪をひく子どもでした。肺炎になってしまったこともあるし、40℃くらいの熱が出ることもしばしばあって、ひどいときは痙攣してしまったり……。夜中に病院に運んでもらったりすることもあり、病院と縁が切れない子どもでした。小学生のとき、あまりに具合が悪いことが多くて、脳波を計測したこともありましたね。
──そこまで病弱な少年が「プロレスラーになりたい」と言ったら、両親は止めませんか。
止めるというより、「無理無理」という感じでした。小学校6年生のときに、やはりひきつけを起こして入院したんですよね。その入院中に父が差し入れてくれたのが、『プロレス大百科』でした。それを夢中で読んで、テレビ中継も観て、のめり込んでいったのを覚えています。
──そのあと、実際にフィジカルも鍛えていく。
小学生のときは少年野球をやっていたんですよね。並行してバスケットボールもやっていて高1まで続けました。中学くらいになると、自己流でウェイトトレーニングをやりだして……そのあたりからは頻繁には風邪をひかなくなりました。
とにかく身長を伸ばしたくて、毎日2リットルの牛乳を飲んでいましたね。高校くらいになると横にも大きくなっていくので、父親は「お前は何がしたいんだ」と驚いていました。
──その後、正式に「プロレスがしたい」と打ち明ける。
そうですね、高校生のときに。当たり前ですけど、快く送り出されたわけではありません。心配もあったでしょうし。「10年やってダメなら帰ってこい」と言われました。
──練習がきつくて逃げ出したりは?
1回ありましたね。それも入門した直後です。母から「ずいぶん早かったね」と言われました。でも、やっぱりプロレスラーになりたいという気持ちが強くて、すぐに戻りましたが。













