ブレーク直後の大混乱、“あの人気モデル”が「結婚したい相手」に指名
――漫才から現在のスタイルに至るまで、どんな試行錯誤があったんですか?
もともとは僕、漫才師だったので、その歌を漫才の中に取り入れていたんですが、どうもしっくりこなくて。そこで笑い飯の哲夫さんに直談判して、吉本の劇場の大喜利コーナーにピンで出させてもらったんです。
――そこから現在のキャラクターが形づくられていったんですね。
そのときはまだ芸名も衣装も決まっていなかったんですよ。ただ、ムード歌謡っぽい曲調だったので、本名の勝山慎司ではなく“ムーディ勝山”にして。衣装や髪型、歌っている間は微動だにしない仕草まで、一つひとつキャラクターを作りあげていきました。
――実際にブームに火が付いたのはいつだったんですか?
全国的に火が付いたのは2007年の正月ですね。「ガキの使い大新年会」と「さんまのまんま 新春SP」です。ガキ使では旅館の大広間で、メンバーやスタッフが見守る中、数十組の芸人がネタを披露して優勝を決める企画で、1分半の歌を披露しました。「さんまのまんま」では、今田耕司さんが“おすすめの若手芸人”として何人か連れてきた中の一人で、さんまさんの前でネタを披露しました。
――正月の人気番組に立て続けに出演されたあとの反響はいかがでしたか?
めちゃくちゃすごかったですね。友達や先輩から連絡が殺到しましたし、それまで挨拶しても目もくれなかった吉本の社員が、急にすり寄ってきたりして(笑)。街を歩いていても声をかけられるようになって、周囲の反応は一気に変わりました。
――ブレーク当時はかなり多忙な日々だったのでは?
これも“一発屋あるある”だと思うんですが、忙しすぎて本当に記憶がないんです。毎日が初めてのことばかりで、1日に10本ぐらい仕事が入っていて。大阪からマネージャーもついてこられないこともあって、一人で「アルタってどこやねん!」って汗だくで新宿駅をさまよったりしていました。
――環境の変化に戸惑いはありましたか?
でもやっぱり、急にちやほやされるようになって。現場に行くと企業の社長さんが直々に挨拶にきてくれたり、当時『CanCam』の専属モデルだった押切もえちゃんが「結婚したい相手はムーディ勝山さん」って言ってくれたりして…そんなん、調子乗りますよね(笑)。













