「意義のある仕事を43年も続けてこられたのは幸せです」
――宗男さんは今年78歳を迎え、現役の国会議員として活躍していますが、壮絶な政治家人生を歩んできました。秘書として仕えた中川一郎元農水相の死をめぐって批判されたり、政界でスピード出世を果たしたと思いきや、一転、検察に逮捕されたり。浮き沈みの激しいジェットコースターのような人生を振り返ってみて、政治家にならなかったほうが幸せだったとは思いませんか。
鈴木宗男(以下、同) 私は中学1年生の時の作文で、将来の夢について「政治家になりたい」と書き、その夢を実現しました。もちろん、政治家にならなければ国策捜査により逮捕されることはなかったでしょう。
それでも政治家になってよかったと思いますね。正直者が馬鹿を見る社会にしてはいけない、額に汗して頑張ったものは報われる、そういう社会を作るのが政治家。
いろいろありましたが、意義のある仕事を43年も続けてこられたのは幸せです。
――何度も挫折を乗り越えてきましたが、特にツラかった経験は何ですか。
私は北海道足寄町の農家の次男として生まれ、麦ごはんで育ちました。決して裕福な家庭ではなかったのですが、父親は馬を1頭売って私を大学に行かせてくれました。
その父が19歳のときに亡くなり、母親も他界しましたが、それよりもショックを受けたのが1983年1月9日、秘書としてお仕えした中川一郎先生が亡くなった時です。札幌のホテルに泊まっており、私も一緒にいました。
前年の自民党総裁選で、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎の各氏と争い、結果は惨敗。
ただ、たった13人しかいない少数派閥を率いる中川先生が50人の推薦人を集めて総裁選にエントリーできたことだけでもすごいことでした。
総裁に選ばれた中曽根さんに近い渡辺美智雄さんは「北海のひぐま」と言われていた中川先生を「くまの遠吠え」と馬鹿にしました。こちらとしてはなにくそという思いで推薦人を集めたのです。
中川先生は57歳でまだまだこの先もチャンスがありましたが、総裁選の結果を気にして、失意に陥り、精神的に不安定になっていきました。
天下人になるには時の運、めぐりあわせ、いろいろありますが、人一倍頑張っていればナンバー2やナンバー3に中川先生はなれるのではないかと思い、私は大学4年生から秘書として365日休まず、がむしゃらに働いてきました。
それだけに中川先生の死は私の人生も終わったと感じましたね。














