イギリスの象徴「紅茶」も略奪の産物

イギリスらしさを象徴するものといえば、何といっても一杯の紅茶だろう。しかし、この国の大人がこよなく愛する温かい飲み物が、実はイギリスではなく、はるか遠い土地からやって来たと知っているだろうか? そう、自らを「ヨークシャー・ティー(イギリスで人気の紅茶ブランド)」と称するあのブランドも例外ではない!

もう気づいているだろうが、これほど広く普及し、人気になった理由は、大英帝国の影響だ。イギリスが初めてお茶を味わったのは1600年代で、航海者たちがこの飲み物をヨーロッパに紹介した頃だ。

ロンドンに“東インド会社”が今も?  高級紅茶の裏にある「帝国と略奪」の衝撃史_2
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当時、イギリスのお茶は全て中国から来ており、中国には豊富にあったものの、イギリスではとても珍しくて高価なものだった。実際、今でも「中国じゅうのお茶と引き換えにしても(for all the tea in China)」という表現を耳にすることがある。例えば「中国じゅうのお茶をもらっても宿題なんかしないよ!」のように使う。

つまり、どれほど貴重で価値のあるものを山ほど与えられても、絶対にやりたくないことはやらない、という意味を表す言い回しだ(ただし、学校で試すのはお勧めしない。先生はあなたがこの表現の背景の歴史を知っていることに感心するかもしれないが、だからといって宿題をやらなくて済むわけではないから)。

しばらくの間、東インド会社が国際的な茶貿易を支配していた。

歴史は繰り返す? 他国の参入による争い

しかし19世紀半ば、状況は一変した。アメリカとオランダも茶取引に参入し始め、中国はイギリスへの供給を断つと脅した。東インド会社の重役たちは「インド産」の茶なら自分たちがもっと支配でき、拡大するインド帝国から新たな形で利益を得られると考えた。

そこで会社はロバート・フォーチュンという男を雇い、中国に渡らせて茶樹をひそかに持ち出し、インドへ運ばせた。

これはやっかいな仕事だった。ご存じの通り、部屋の窓辺で植物を枯らさずに育てるだけでも大変なのに、何千マイルもの船旅で過酷な気象条件の中、繊細で高価な苗を生かしたまま運ぶのは、なおさら難しいことだった。

さらに困難だったのは、当時ヨーロッパ人が中国でいつも歓迎されていたわけではなかったことだ。そこでフォーチュンは、この任務には変装が必要だと判断し、現地の服を身に着け、裕福な中国商人に扮して国内を歩き回った。

彼は前頭部の髪の毛を剃り、後頭部に付け髪をぬいつけて長い辮髪(ポニーテール)のように見せかけた。茶畑から茶畑へと移動しながら、さまざまなお茶の苗を集めてインドへ送り出す一方、中国の専門家から茶の加工法を学んだのだ。