感動で全身が震えた、イチローの「レーザービーム」
届かないだろうと思っていた距離を縮めてくれる。それが、スポーツが秘める大きな力なのだと今江敏晃が痛いほど感じ取ったのが、自らが出場した第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)である。
誉れ高きジャパンのユニフォームに袖を通す。それ以上にスーパースターのイチローと同じチームで戦えることのほうが、今江にとっては喜びだった。
強烈な憧れは、今でも克明に呼び起こせる。
小学5年生だった1995年。1月に関西地方を襲った阪神・淡路大震災からの復興を掲げ、「がんばろうKOBE」をスローガンにパ・リーグ制覇を遂げたオリックスの雄姿は、京都で生まれ育った今江の胸を打った。
彼にとってその憧れは、チームの象徴だったイチローに集約されていたといっていい。周りから「イチローに似てるね」と言ってもらえたことも、夢中になる動機となった。
当時、イチローがCMに起用されていた三ツ矢サイダーのポスターを自室に貼り、イチロー関連の書籍をむさぼるなど滅多にしない読書にまで耽った。
そして、ファッションのアクセントだったDj hondaのキャップを後ろ向きに被って前髪を下ろし、ワンサイズ大きめのパーカーとパンツを合わせてベルトを垂らす。野球の技術よりも、憧れの人に見た目で近づきたいと努める少年がいた。
「『似てる』って言われるのが嬉しかったんで、イチローさんの口元とかより似せるための角度とかも研究しましたよ。下敷きとかサイン入り色紙とかグッズも親に買ってもらって、今でも持ってますからね」
それから11年。2006年のWBCで今江は、初めてイチローと出会った。日本代表メンバーが集結した福岡合宿。最初こそ「本物のイチローさんやぁ」と目で追うことしかできなかったが、シートノックが始まるとすぐにアクションを起こす。
外野との中継プレーでライトのイチローに順番が回ってくると、今江は「レーザービーム」と称される送球を受けたいため、先輩サードの岩村明憲に頭を下げた。
「ガンさん、すいません。イチローさんの送球、僕が受けさせてもらっていいですか?」
岩村からの快諾を得て、今江がイチローの正確無比なレーザービームを捕球する。感動で全身が震えていた。
「これや……これがレーザービームや……」
ライトの定位置付近から三塁ベースまで、およそ70メートルの距離で交わした無言の会話によって、今江に勇気が湧く。
「ちゃんと、お話しさせてもらおう」
ところが、実際にイチローと対面した瞬間、「憧れ過ぎて、本当に緊張して何を話したのか覚えていない」というのだ。













