天下を取る人、マニアのおもちゃで終わる人

何度か述べたが、私の持論に「マニアックが天下を取るとカリスマになる」というのがある。我ながら名言!

落語の場合、立川談志がその代表。お笑いの世界ではビートたけし、タモリ、そしてダウンタウン。これは、イリュージョン的笑いの代表と重なる。

マニアックな芸は、最初は一部のマニアなファンに支えられている。そしてその状況に芸人が満足し、甘んじてしまうとマニアのおもちゃとして終わってしまう。それが嫌だから芸人はそこから這い出そうともがく。そしてチャンスを見つけて飛び立とうとすると、それまで支えてくれていたマニアなファン達が怒り、悲しみ、非難し始める。そこで振り返らず突き進めるかどうか。芸人の未来はこの瞬間にかかってくる。

若手の落語家の世界も、規模は小さいが似ている。

前座修業を終えた若手落語家は二つ目に昇進し、自由に落語の会を開催出来るようになる。最初のうちは知人を中心に小規模で落語会を開催する。やがて固定のファンがつくようになる。そして、そのファン達と毎回打ち上げをして親交を深めていく。

東京・新宿にある寄席「末廣亭」(写真/shutterstock)
東京・新宿にある寄席「末廣亭」(写真/shutterstock)

そのうち、落語家はそのファンが喜ぶような企画をやるようになる。企画だけでなく、落語そのものも、教わった通りの落語ではなく、そのファンが喜ぶようなギャグを入れたり、演出を加えるようになっていく。

本当であれば、二つ目というのはもっと上手くなるように技術を徹底的に身につけなくてはいけない時期なのに、そんなことよりも人と違った個性を作り出そうと別の方向に力を入れてしまう。

本来、個性なんていうものは、無理やり作り出すものではない。
「抑えても抑えても出てきてしまうのが個性だ」。よっ! これも名言!

技術を習得しようと懸命にやっていれば、自ずと個性は顔を出してくる。それでもし魅力的な個性が出てこなければ、その程度の芸人なのである。

勿論、そこで諦める必要はない。魅力的な芸人になれるよう、人生経験をたくさん積めばいい。嗚呼それなのに、それなのに、ねえ、怒るのは怒るのはあったりまえでしょう、って戦前の芸者歌手美ち奴の歌。わかるかな、わかんねぇだろうなあ、ってこれは松鶴家千とせの「夕やけこやけ」のフレーズです。

それなのに技術習得を怠り、一部のマニアックなファンに向けたギャグばかりを落語に入れ込み披露する。時折、師匠の落語会や、不特定多数が出演する落語会で落語を披露する機会に恵まれることがあり、千載一遇のチャンスだ! とばかりに、自分のファンに披露してウケた落語をやる。しかしその場所での自分は、知名度もなければ技術もない。

当然ながらウケない。そこで己の未熟さに気がついて技術を習得すべく研鑽を積もうと方向転換できれば良いのだが、人間は自分の非を認めたくない弱い生き物なので、こんな風に思って自分を慰めてしまう。

「この会は師匠を目当てに来た客ばかり。だから最初から俺の落語を聴く気なんかない。俺のファンはちゃんと俺の芸を受け止めてくれるんだから、俺はこのままでいいんだ!」

そして日々マニアの客の前だけでウケる落語をやり続け、気がつくと年齢だけ重ねた、つまりそれなりのポジションについてはいるが、世間から全く相手にされない落語家になってしまったのであった、めでたしめでたし。

やはり芸人たるものは世間を相手にしないといけないのです。

ダウンタウンは漫才というスタイルだけにとらわれず、主戦場をテレビに変え、世間を相手にイリュージョンの笑いを提供して天下を取った。だからカリスマなのである。

マイク1本で天下をとった3組の芸人、ダウンタウン、ビートたけし、立川談志(写真/shutterstock)
マイク1本で天下をとった3組の芸人、ダウンタウン、ビートたけし、立川談志(写真/shutterstock)
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文/立川志らく

『現代お笑い論』(新潮社)
立川志らく
『現代お笑い論』(新潮社)
2025年12月17日
1,034円(税込)
240ページ
ISBN: 978-4106111105
「なんだかわからないけど、面白い」はなぜ生まれる? 〝全身落語家〟を標榜しながら、若手芸人の登竜門M-1グランプリの審査員を務めた著者は、「ぶっ飛んだ」漫才を高く評価する審査を貫き、いつしか個性派を指す「志らく枠」という言葉まで生まれることに――ランジャタイ、トム・ブラウンを見出した落語家が、超ニッチな若手からレジェンドまで総勢90組を縦横無尽に論評、現代の「お笑い」の真髄に迫る!
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