相互の関係性の中からも生まれる
いわれてみれば当たり前のことかもしれないが、このときの僕は「ああ、なるほどそうか」と自分でも不思議なほど素直に思えたのだった。
こうした焼物は単体で見ると、特に若い人たちには魅力が伝わりづらいのは確かだ。ただ、このようなつくりにも重要な理由があること、つまり器が主役を張ろうとせず、料理との調和を何より重んじる、という美意識から築き上げられてきたと知ると、いままで見ていたのとは違う景色が見えてくる。
その後、僕たちは職人さんに連れられ、窯だけでなく周囲のあちこちを案内してもらった。原料となる陶石が採れる山。現地で焼物の歴史が始まった原始的な窯。また、地域の神様が祀られている場所などをめぐりながら、彼らのものづくりの背景にあるものを教わったのだ。
そうした時間を過ごすなかで、そこにある自然にもふれて、この産地自体がとても美しいと思った。
それまで野暮ったいと感じていた焼物の良さ、その静かな魅力が語りかけてきた気がした。この「良さ」をきちんと理解し、現代のライフスタイルに合う使い方ができたらと思えたのだ。さらに、何だか微妙だと思っていたこうした「土物」の工藝品が、むしろ日本の自然の美しさを最も象徴する存在なのでは、とさえ思えてきた。
瀬戸本業窯の職人・水野雄介さん(八代後継)たちの作る器は、総じて質素だ。文様は描いたとしても控え目で、例えば、シンプルながらリズミカルな渦巻き模様が名前の由来の「馬の目皿」などがよく知られる。あるいは釉薬を使う場合も、素地がほぼそのまま見えるような「透明釉」が多く見られる。
そこには、素材そのもの、自然そのものが素晴らしいのだから、余計なものは何も加えないことを是とする│そうした考え方があるように思う。
それは素材本来の美しさを引き立たせ、ありのままに、人と自然がともに暮らせるような器、といってもよいかもしれない。それはモノのあり方として非常に美しいのではないか?そう気づかせてもらえた体験で、いまさらながら改めて「見た目だけじゃないのだな」と素直に思えたのだった。
いま振り返るとこの体験は、瀬戸本業窯で水野さんたちが続けるものづくりに限った話ではなく、工藝の根底にある大きくて重要な価値観の一つを学ばせてもらったのだと思う。
工藝の美しさとは、モノ単体で完結する話ではけっしてなく、それが生まれた環境や素材の自然の美、また器ならばそこに載ってくる料理や、隣り合う器との関係、食の場の環境など、相互の関係性の中からも生まれるものだと実感した。













