※本書で紹介する事例は個人が特定されないよう修正を加え、登場人物はすべて仮名とする。
女性を強姦しても怒らない親──柏崎圭吾(50代)
「十分金があるんだから、店にでも行ったらいいのに……」
事件を担当した刑事、検事、弁護士、皆が口を揃えて私にそう言いました。しかし、単純な性欲処理の問題ではないのです。
私がなぜ女性を強姦し続けたのか、残酷な事実から目を背けず、私の心の闇と向き合ってくれる人は今までひとりもいませんでした。
私が性犯罪者になった理由は、私が生まれ育った環境にあることは間違いありません。
私は地方の出身です。大きな都市から遠く離れた小さな町で育ちました。私の父親は会社を経営しており、この町で「柏崎」と名乗れば、「ああ、あそこの坊ちゃん」とすぐにわかるほどの名士です。私は町中から監視されているような気がして、子どもの頃、苗字で呼ばれることが苦痛でたまりませんでした。
私の親族の中では、女性に人権がありません。母は市議会議員の娘だったので、父親は義父に気を遣って妻に手を上げるようなことはしませんでしたが、女性を殴ったり犯したりしている姿は何度も見たことがあります。
自宅で宴会をする時は、必ず女性を呼んでいました。最初はお酒を注がせるだけなのですが、酔いが進むにつれ男たちは野獣と化します。女性の悲鳴が聞こえたので宴会場を覗くと、男たちは集団で女性を暴行していたのです。
母がすぐに私を連れ戻しに来て、
「誰にも言っちゃだめよ」
と口止めされました。母もすべてを知っていたのです。
私は次男で、会社は長男が継いでいます。父も兄も、アジアの「売春ツアー」に出かけ、旅費を経費で落としているような会社です。
私が最初に女性を強姦したのは中学生の頃です。近所の子どもに、お小遣いをやるから言うことを聞いて欲しいと言ったのですが、抵抗され、強姦してしまいました。たとえ親に言いつけられたとしても、怖くはありませんでした。女を犯したぐらいで父が怒ることはないからです。
もし、私が万引きでもしようものなら、たとえガム一個であっても、
「他人様の物を盗むなんて、柏崎家の恥だ」
と何回殴られるかわかりません。だから私は一度たりとも他人様のものを拝借するようなことはありませんでした。
柏崎家は躾に厳しい家庭です。それでも、女性への暴力だけは例外とされていたのです。
私たち兄弟は、成績が一番でなければ父から殴られました。
「おまえ、それでも男か?」
父はそう言って、子どもたちをよく殴りました。
男である限り、父の拷問から逃げられないのです。私は密かに女に生まれればよかったと女性を妬みました。
家でも外でも緊張を強いられる生活に、私は神経をすり減らしていました。その捌け口が、女性への暴力だったのでしょう。
高校生の時も、同じことをしました。高校三年時は受験のストレスが酷く、貧しい家の子ばかりを選んで金を与え、口封じしていたのです。
なんとしても息苦しいこの町を出たいと、私は東京の大学を受験しました。親が上京を許すには、かなりの難関大学でなければなりませんでした。













