植松聖死刑囚と獄中結婚した妻が面会室で交わした話
最初に翼さん(仮名)から話を持ち掛けられてから半年余。やまゆり園障害者殺傷事件・植松聖死刑囚と獄中結婚した彼女が2025年2月28日に初めて面会を果たした。
私と植松死刑囚の代理人弁護士も同行したが、私だけ接見許可が得られておらず、待合室で待つことになった。
結婚が成立したのは12月5日だから、そこからでも3カ月弱、最初に婚姻届けを提出してから半年もかかった。死刑囚の処遇に関わる東京拘置所の一連の対応には大いに疑問を感じたが、粘り強い交渉でやっと翼さんの接見が認められたわけだ。
もともと翼さんが植松死刑囚に会いたいという話から始まった獄中結婚だが、実際に面会するまでに半年以上もかかったというこのことに、死刑確定者の置かれた状況が示されている。
そもそも死刑囚がどんな処遇を受けているかについては社会的にほとんど知られていないし、拘置所の裁量でいかようにもされてしまうというのが現実だ。
結婚が受理されて新たに作られた植松死刑囚の戸籍謄本を翼さんが差し入れたのが12月5日だったが、植松氏本人の手に渡らないまま結局、不受理。弁護人経由で再度差し入れたがそれも不受理。
今回、初めてわかったのは、植松氏の実の両親も戸籍謄本の差し入れなどをやってくれていたことだ。この実の親の尽力が大きかったのかもしれない。
婚姻届けの用紙に始まって、差し入れた書類は全て、植松氏本人に渡るまで1カ月ほど拘置所に留め置かれた。そういう処置がとられたのは、この獄中結婚によって彼の接見交通権が広がることを快く思わない拘置所の判断によるとしか思えない。
半年間もそういう目にあえば、弁護士や私のような相談相手がいない人だったら途中であきらめていたかもしれない。今回、最終的に面会にまでこぎつけることができたのは、弁護士や私のサポートがなされたことと、何よりも翼さん本人の意思が堅かったからだろう。
結婚後、翼さんは銀行口座などの名義も植松姓に変えている。本人は植松姓を名乗ることを早い時期から決めていた。













