AIアルゴリズムが個別性を失わせる

かつてであれば、テレビや新聞や雑誌を制作する「人」が、どんな作品を大きく掲載するかを決めていた。それがマスメディアだった。

だが、現在は違う。プラットフォームが決めている。つまり、人ではなくアルゴリズムが、流行するものを決める時代なのだ。

しかし、人の意思ではなくアルゴリズムの力だけが増す状況でいいのだろうか?

アルゴリズムとは、ユーザー――発信者も受信者も含め――の個別性を失わせやすい場である。

クリックされやすいものとは「いまの多くのユーザーの報われたさに最適化していったもの」である。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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つまり、よりたくさんの人に観られ確実に読まれる、そういうものが大きく取り上げられるようになる。最大公約数的に最適化したものを皆めざすようになる。

人間は皆、異なる感情をもっている。もちろん同じものを見て同じような反応をすることもあるし、同じ漫画を読んで同じ場面で泣くこともある。

それでも、どんな環境、人、作品と出会ってきたのか、何が好きで嫌いかは個人ごとに異なり、それぞれ固有の感情をもった人間であることは確かだ。

しかしアルゴリズムはそれに対して最大公約数的な「正解」を提示しようとする。TikTokであれば、いまできるだけたくさんの人に見てもらえそうな動画が優先的におすすめ欄に表示される。

もちろんユーザーにとってドンピシャではなくとも当たらずも遠からずな興味のあるものなので、そのまま見続ける。すると結局「正解」に近い、最大公約数に近い、間違っていない、そういう単一的なコンテンツが多くなってしまう。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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TikTokには流行のエフェクトや音楽に乗せることで、アルゴリズムが優先的に拡散してくれる仕組みがある。しかしそれは、発信の個別性を失わせることになる。アルゴリズムに乗ろうとすると、発信者の個別性なんて言っていられず、最大公約数に合わせるしかない。人間の感情ではなくアルゴリズムに選ばれるとは、そういうことである。

するとどうなるか。受信者の個別性も失われていくのではないか。

自分が好きか嫌いかもわからないまま、短期間の報酬刺激を与えられ続けていると、自分だけの感情がわからなくなっていく。それは、自らの個別性が失われていくことにほかならないのではないか。

私たちはプラットフォームのなかで、どんどん自分らしさを消して「正解に近い最適解」を出すことを求められている。それが数値で結果を出すための最短距離だ。自分らしさは消えていく。個別性が、意味のないものとされる。報われないからいらないものだとされている。

すると、個人の感想なんて、意味のないもの、正解でないなら出さなくていいものとされるのは当然である。「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が流行するはずである。この言葉は、そもそも感想や感情なんて意味がない、という前提が置かれていないと流行しない。

間違っているかもしれない個人的な感想よりも、作者のもっている正解を当てるゲームのほうが意味のあるものだと思えてしまう。考察が流行する理由がここにある。その思考こそが、じつは、プラットフォーム社会に最適化した発想なのである。

文/三宅香帆 サムネイル/Shutterstock

『考察する若者たち』 (PHP新書)
三宅 香帆
『考察する若者たち』 (PHP新書)
2025/11/18
1,100円(税込)
248ページ
ISBN: 978-4569860176

なぜ映画を観たあとすぐに考察動画を見たくなるのか?
映画やドラマ、漫画の解釈を解説する考察記事・動画が流行している。
昭和・平成の時代はエンタメ作品が「批評」されたが、令和のいまは解釈の“正解”を当てにいく「考察」が人気だ。
その変化の背景には、若者を中心に、ただ作品を楽しむだけではなく、考察して“答え”を得ることで「報われたい」という思考がある。
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「平成」と「令和」で何が変わったのか?
●「批評」から「考察」へ
正解のない解釈→作者の意図を当てるゲーム
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